あおぞら列車

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いつも市丸のところへ行く時は京急線の快速特急で向かう。しかし今日だけは早く行きたくなくて各駅停車の普通で向かう事にした。市丸に会うのが気まずいというのもあったが、久々の澄み切った青い空が気持ちよくて車窓からずっと眺めていたくなったのだ。京急の車窓は大きくて、高架線の上を走る時などまるで空を飛んでいるかのようだ。ふとこのまま羽田空港駅まで乗って、本当に飛行機でどこかに飛んで行きたくなった。でも、乗り込んだ普通は品川方面の神奈川新町停まりだった。諦めて車窓の外を見つめた。気持ちがどんどん急降下していくようだ。逃げたいと思う自分に、少々腹が立った。日ノ出町のトンネルに入る前のカーブで、ふと向かいに座る一人の老婆と目が合った。上品そうな小柄な老婆は、メガネの奥の目を細めてにっこりと笑いかけてきた。思わず僕は笑い返して頭をぺこりと下げた。老婆は手に持っていた新聞紙にくるまれた何かをがさがさと開いて、大きな三浦大根を取り出した。その三浦大根は老婆の顔よりも太く長かった。そして、取り出した三浦大根を僕の方に向けて再びにっこり笑うと、新聞紙に三浦大根をくるみ僕に差し出した。一瞬どうしていいかわからずに、でも僕はその新聞紙にくるまれた三浦大根をしっかりと受け取った。ずっしりと重い三浦大根だった。僕は何か言おうとして顔を上げた。老婆はにこにこしたまま「持って行きなさい」と言って、ちょうど黄金町の駅で停車し開いたドアからするりと降りて行った。老婆とは思えない身のこなしで、あっという間にホームの階段へ消えてしまった。僕は呆然と三浦大根を抱えたまま閉まるドアの先のもういない老婆を見つめた。腕の中の三浦大根が、なぜかほんのり暖かく思えて、ふと早く市丸のところに行きたくなった。あんなに行きたくないと気持ちが沈んでいたのに、三浦大根の重みが急に現実味を帯びてきて僕は三浦大根をやさしく抱っこした。市丸に結婚を申し込もう。もう逃げようなんて思わない。僕は父親になるのだ。あと何ヶ月か経ったら、僕はこの腕に市丸と僕の子を抱っこするのだ。気持ちが軽くなり、スキップでもしかねない僕はいつものように市丸のいるカフェに向かった。窓際に座る市丸のふさぎ込んだような横顔が見えた。僕は勢いよくカフェのドアを開けて市丸のいる窓際に向かって歩いた。三浦大根のくるまれた新聞紙を大事そうに抱っこした僕を見て、市丸が吹き出した。
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