『過去』

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「なんだよその恰好は! 親不孝だと思わないのか!」 翔は上手にメイクを施した目に涙を溜め、父に向かって頭を下げた。 「父さん、ごめんなさい・・。でも私は元々女の子だったの。女の子なのに男性として生きていなきゃいけないのが辛かったの」 「男として生まれたなら男として生きていく、そんな普通のことがなんでできないんだ! 自分の手でわざわざ子孫も残せない体にするなんて、人間であること自体を否定しているのと同じじゃないか!」 父だって、翔が女性になっていたなんて露ほども思っていなかっただろう。 翔は微かに肩を震わせながら、小さな声を絞り出した。 「私、男性として生きていくのがどうしても嫌で、本来の姿になりたかっただけなの。私は罪を犯したわけじゃなくて、誰にも迷惑はかけてないんだよ・・」 「今まで嘘をついておいて、悪いことをしていないだなんてよくいえるな!」 翔の大きくしゃくりあげる声が病室に響いた。 「私は翔が会いに来てくれて嬉しかったよ」まくしたてる父を制すように、祖母が口を挟んだ。 「こんなしゃらくさい恰好してるけど、それでも元気な姿でやっと会いに来てくれたんだもん――。それにずっとこのまま知らないで、翔に会えなかったよりかは、本当のことを知って会えた方がずっとよかったじゃない」 祖母の言葉に父が静かになった隙を突き、僕は頭に思いついたことを全部言葉にした。 「父さん、今はショックで受け入れられないかもしれないけど、翔はもう手術して女として生きているんだよ。今さら男に戻れなんて言うのは、母さんに生き返れっていうのと同じくらい不可能なんだよ。もちろん自分だって抵抗はあるけど、今更もう過去は変えられないし、受け入れていくしかないんじゃないかな。騙してたのはよくないけど、ずっと言えずに悩んでいたんだと思うよ」 それでも父は事体を嚥下できず、険しい顔をしている。 「父さん、長い間嘘をついていたこと、ごめんなさい。無理に受け入れてくれとは言いません。女の子として人生を送りなおしているということだけ、知っていてくれればいいから」 翔は父に深く頭を下げると、荷物を持って病室を出ていこうとした。 「夕飯、まだなんだろ?」 父の低い声が、まさに病室を出ていこうとしている翔の背中に届いた。
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