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「…何で泣くの」
嬉しい。嬉しいんだ。
僕が話せないことを分かってくれて、僕の言葉を待っていてくれる。大抵の人間は僕が話せないと分かると哀れんだ表情を浮かべるか、困った表情を浮かべるから。
「書けばいいだけ」と言ってくれることが、僕にとってどれだけ救いの意味があることなのか。
嬉しいのに、涙が溢れた。
ううん、違う。嬉しいから、嬉し涙が溢れ出してしまった。
「泣かれたら、俺が困るんだけど」
目頭が熱を帯び、ポタポタと雫が頬を伝い落ちる。
慌てて取り出した携帯の画面に自分の涙がぽつんと落涙するのを他人ごとのように見やりながら、僕は電源ボタンを震える親指で押した。
「…紙に、書いてよ」
(………?)
「俺は君の書いた文字が見たい。だから、紙に書いて」
そっと手から携帯を取り上げられ、彼は黒板に立てかけられていたスケッチブックを手に取った。
そしてそれを、胸元に刺さっていたペンと共に僕に手渡す。
涙で濡れた視界には微笑む美しい横顔が映っている。
『僕は、赤見翡翠です』
「文字を見たい」なんて、言われたこともない。普通の人間にとっては話せることが当たり前だから、僕が示す意思表示にしか興味がない。携帯に文字を打とうが、丁寧に文字を紡ごうが、相手に伝わる内容は一緒だ。
「…あかみ、ひすい?変わった名前だね」
けれど、この人は違う。
僕が感情を込めて書いた言葉を、この人は精一杯汲み取ろうとしてくれる。
『そうでしょうか?』
スケッチブックの隅っこに書かれた文字が、今の僕の声だ。だから僕は文字を使って、自分の感情をこの人に伝える。
『僕は、自分の名前が好きですよ』
涙まみれの瞳を三日月型に細めて、僕は笑うことができた。
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