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自分がこんなに感傷的な人間だとは思わなかったというのが正直な気持ちだった。
「あ!先輩!」
低い声が、私を呼んだ。
現実の世界が回り出す。
はっとして顔を上げた。そして口を開く。
「ごめんね、ちょっと遅刻だね」
センチメンタルはもうおしまい。
「大丈夫ですよ」
微笑む彼に、私はもう一度謝ってから今日の行き先を尋ねた。
特にプランは無いらしい。「歩きましょう」という声かけに頷いて、私たちは駅を出た。
初夏を告げる眩しい日差し。僅かに汗ばむ温度が身を包む。
彼と他愛無い話をしながら歩き、周りの景色を見渡して、ふと私は気づいてしまった。
ああ此処は。
「…先輩?」
あの場所だ。
今まで何も思わなかったのが不思議なほど、忘れられない場所だったはずなのに。
固執しているのか脳天気なのか、自分がよく分からなくなった。
「ううん、ごめん何でもないの」
何でもなくなんてないのにね。
日差しを紛らわす、申し訳程度の風が吹いた。
「先輩、ここ好きですか?」
どこか含みのある言い方。
彼の質問に私は口を閉ざした。
どうしてそんなこと聞くのだろうと思って、もしかしたら彼もこの場所が私にとって少し特別だと知っているのかもしれないと思い至った。
「どうかな。嫌いな場所ではないけど」
本当のこと。
好きな場所ではないけれど。
それでも嫌いにはなりたくない場所ではある。
「そうですか」
彼の返事は短かった。
気がつくと、目の前には青が広がっていた。
「わぁ…っ!」
水面は細かく光を反射して、硝子のように輝いている。港町と言うには都会過ぎるような気もしたが、私はこの景色が好きだった。
「夏になりますね」
彼の白いTシャツが目を焼く。どこか涼しげなその格好に、私は誰かを重ね合わせようとしていることに気づいて視線を落とす。
けれど彼は私を見ていた。
「先輩は、どの夏を見ているんですか」
少し微笑んだ口元。
呆れているのかもしれない。
ここではない何処かを見つめていることに、彼はいつから気がついていたのだろう。
「何言ってるの」
そうやって誤魔化す私に、彼は微笑みを崩さずただ視線を海へ飛ばした。
潮の香りはあまりしない。
照りつける太陽に熱を持って返事をするアスファルトが、都会の香りをまき散らしているように感じた。
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