第1章

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鍵を閉めたかどうか不安になるときは大抵閉まっていて、本当に鍵が開けっぱなしのときにはそんなこと微塵も考えないもの。 忘れられないと嘆いているうちは、忘れる事なんて絶対無いんだ。 どこか投げやりな私の様子を見て、彼はまたも小さく笑った。 「いいえ、逆を言おうと思ったんです」 「え?」 彼は海をまっすぐに見つめている。 何を考えているのか、私には分からない表情をしていた。 「もう覚えている必要なんて無い…そう思ったことでも、本当に記憶から消えるには時間がかかりますよ」 彼は私の方を向く。 「『不定積分』みたいに」 雑音が消えた。 言葉だけがそこに在るような感覚に、私はただ立ち尽くす。視界の彩度が上がって、世界が少し分かりやすくなった気がした。 そして、納得と呼ぶには軽すぎる音を立てて、彼の言葉は私の胸に落ちる。 「ね、なんで今日は此処に来たの?」 私は何かを考えることなく彼に問いかけた。 返事はすぐに返ってこなくて、私は隣に立つ彼を見上げる。 背が伸びていた。もともとどれくらいだったかなんて記憶に残っていないけれど。 同じ海を見つめる彼の横顔は大人びていた。 ああ違う。 大人びたんじゃない。 大人になったんだ。 私があの時より大人になったのと同じように。 「先輩が毎年、夏になると同じ顔をするので」 なのに彼は、知り合った頃と変わらない笑顔を浮かべた。 やっぱり夏は時間感覚を狂わせる。 「本当に、まったくね。…こんなに綺麗な季節なのにね」 私は伸びをしながら、届かない海に手を伸ばす。 それでもやっぱり夏が好きなんだ。 「別に忘れて欲しくてここを提案したわけでも、踏ん切りをつけるべきだと思ってるわけでもないですよ」 「つけられたら楽なんだけどね」 冗談みたいに笑う。 「つけられないですよきっと」 からかうように笑う。 だって先輩ってばほんと女々しいんですもん、とか何とか言って。 まぁ確かに自分でもこの件に関しては随分面倒臭い人だなとは思うけれど。 でもこうやってひとつずつ進んでいくのかもしれない、なんて、そんなことも思った。 彼はやっぱり変わらない微笑みを浮かべる。 「いいんですよ別に。いつか先輩の大切な思い出になる日を楽しみにしておきます」
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