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そんなことがあったから、僕の目は花に敏感になっていたのだと思う。
梅雨に入り、増水した鶴見川にみんながハラハラする頃。土曜の朝、その人は京急蒲田駅から乗ってきた。
吊革に掴まる僕の隣に立ったその人は、人混みから守るように紙袋を抱きしめていた。好奇心にかられて中身を盗み見ると、小さな花束(アレンジメントというのだろうか?)が入っていた。
僕は車窓に映るその人を見た。その人は河原で拾ったひときわ出来のいい丸石みたいな鼻を花に寄せて、こっそりと微笑んだ。
人いきれに満ちた車内がどっと温度を上げる。違う、僕の体温が上がったのだ。
それから数回、土日の朝にその人を見かけた。一つに纏められた髪、貝殻みたいに小さな耳。歳は僕と同じくらいだろう。服はカジュアルなパンツスタイル。青系の色が多いのはここが港町だからだろうか。その人もまた、いつも花を抱いていた。
京急蒲田駅から京急川崎駅までは、快特電車だと一駅だ。その人の隣にいられるのはたったの三分。いつもは有り難いと思う京急線の速さが、この時ばかりは少し憎い。
花を守ることに夢中なその人は知らないだろう。僕がのろまのふりをして、わざと一番最後に降りていることを。
花を愛でる人は、今日も赤い電車に連れ去られていく。
彼女とあの花は誰に会いに行くのだろう。
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