第1章

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一 ヴェルニー公園 「毎月最後の日曜日。そうだったのか・・・」  横須賀の港に面したヴェルニー公園で、一昨日撮影した映像を見返しながら、海咲(みさき)は思わず声を上げた。どうして、あの時思い出さなかったのだろう?  一昨日、海咲は日本に初上陸するフランスのファッションブランドのイメージ写真の撮影に立ち会っていた。海咲は不器用で、ちょっと夢見がちな42歳。13歳の息子と暮らすシングルマザーで、仕事はフリーの編集者だ。  この夏は、ブランドのネット通販ウェブサイトの編集を任され、イメージを形に出来る場所を探して、首都近郊の海辺の町を歩き回った。デッキシューズと、セーラーカラーのシャツやチノパン。  マリンテイストのカジュアルな衣類にぴったりだったは、アドベンチャーの八景島、眩しい波が行き交う観音崎、鯔背な三浦漁港、そして異国情緒溢れる横須賀。  商品をまとったモデルの撮影はカメラマンに任せて、海咲は、自分のムービーで風景の映像をたくさん撮っていた。海辺の朝焼け、夕暮れ時に海の向こうに見える富士山。モデルたちのコーディネートごとに風景を絡ませ、エピソードや物語を、ドラマのような仕立てのミニムービーとして載せようと思っている。  海辺のリアルクローズ、南仏トゥーロンから初上陸!。  浜辺の風が、フレンチリネンを通り抜けて肌を撫ぜる。  ナチュラルカラーのデッキシューズで、明日、眩しい海岸を歩こう。  パソコンに打ち込んであったコピーを見直して、海咲は苦笑する。なんか直接的すぎて、物語がない。張り詰めた感じも、抜け感もなくて、中途半端。要するに、ダサい。もうちょっとなんとかしないと。でも、いいのを思いついたら、更新すればいい。  海咲は近年、こんなふうにルーズに仕事してきた。大手のファッション雑誌の幾つかに、その時々で濃淡はあったが随分長く携わった。数年前、家庭の事情を理由に離れたのだが、そこは、まさしく生き馬の目を抜く競争社会―海咲にはもともと向いていなかったのかもしれない。  火曜日の昼下がり。コーヒーメーカーが奏でる温かい湯気の音と別世界の香りに、小さなアパートの居間兼仕事場は包まれる。机の上には、一振りすると、星の砂と桜貝が舞い上がる海のスノードーム。集中するのに欠かせない宝物。海咲は、パソコンに向かい続ける。
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