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なぜかはわからない。ただ、少年時代の思い出を語る老人の瞳に宿る光が、僕の中にある何かと共鳴していることにはうっすらと感づいていた。
良き聞き手を得た老人は、ますます饒舌に昔話を紡ぎ続ける。
「そうだハネダと言えば、あの大鳥居はな…」
ハネダの大鳥居の話なら知っている。タワービル群の谷間に埋もれながらも、いまでもその場所を変えずに佇んでいるあの赤い大鳥居のことだ。
「あ!その話なら聞いたことがありますよ。たしか、工事で移設しようとするたびにトラブルに見舞われたといういわく付きの…」
言いかけたとたんに、美紅がジャケットの袖を引っ張った。
「もうホントにいい加減にして。お願いだからもう行こうよ」
スマートウォッチに目をやる。19:14の文字。あと20分足らずでチェックインの締切時刻だ。
老人の話に頷きながら、カウンターの下で時計に指を走らせ、エア・タクシーのサイトにアクセスする。空車検索/現在地:シナガワ・オールドタウン/配車時刻:いますぐ。
2秒と経たずに「No.1125 3分以内」の文字がディスプレイに表示された。
「おじいさん、今日は楽しかった。もしご縁があったらまた大鳥居の話をゆっくり聞かせて下さい」
老人はなごり惜しそうに目を細め、何かを言いたそうに二度、三度瞬きをした。そしてゆっくりとカウンターのジン・ライムを飲み干すと、奧の棚にある赤い模型の電車に視線を移し、ぼんやりと眺めた。
店を出ると、ちょうど一台のエア・タクシーが高度を下げ、4つのタイヤを接地させようとしているところだった。
ナンバープレート1125。トランクの扉が開くのももどかしくスーツケースを積み込み、後部座席に滑り込む。
「シナガワ・トレインターミナルまで」
タクシーの運転手は一瞬視線を上げてミラー越しに僕らの表情をみると、全てを察したようにアクセルを踏み込んだ。
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