第1章

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 気づいたら、亜津子は電車に乗っていた。電車が停まって目の前の扉が開き、意図したわけではないが、行動としては亜津子は立ち上がってその電車に乗った。そのときもまだ亜津子の中は怒りで満たされ、頭の中はぐるぐると回っていた。しいて言えば、いてもたってもいられない気持ちがとにかく体を動かしたということか。  はっと冷静になったのは、電車が次の駅「金沢文庫」に到着したときだった。何をやってるんだろう、この電車に乗ってても仕方がない、降りなきゃ。待てよ、何をやっているんだ、ってこの電車に乗ってることなんかじゃない・・今日のためにバイトしてお金貯めて、時間作って会いに来てこの仕打ち・・あー、もう、なんか、疲れた・・      だから、亜津子は電車を降りる代わりに、空いた座席に座ることにした。ぼーっと車窓を眺めていると、今にも火山のように噴火しそうだった怒りが少しずつ温度を下げていく。亜津子と健太、二人の関係についていえば、実は亜津子自身も終わりの始まりを感じていた。  大学4回生の亜津子は、この夏に試験を受けて今の大学の大学院に進学するつもりでいる。亜津子は農学部に在籍していて、院に行って研究を続けたいというのももちろん理由の一つだが、1年後に就職して働いている、というイメージがどうしてももてない、というのもある。  健太に話すと「なに甘っちょろいことを言ってんだ」と言われたし、自分でもそう思うのでとても親には話せないが。 周りの同い年の学生たちはもうすぐ始まる就職活動のために髪を黒く戻したり、企業の情報を集めたりOB訪問をしたりと、着々と社会に出る準備を進めている。未来に向かって、大人に向かって意気揚々と歩んでいく彼らと、足踏みしている自分。どこで差がついたのかなあ。ぼーっとした頭で、なんとなくそんなことを考える。  亜津子の実家は大学と同じ県内にあるが、距離が離れているので進学と同時に一人暮らしを始めた。家具や電化製品などは単身用を購入して届くように手配していたので、ごくわずかな身の回りの物を段ボールたった2箱に詰めて実家を出た。親元を離れる寂しさや一人暮らしの不安などは全くなく、ただ新生活への期待で胸がいっぱいで、心も体も軽かった。  そのときのことはよく覚えている。実際の大学生活も、期待に外れることはなく、新鮮で楽しかった。
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