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日が落ちたホテルのエントランスは吹き込む風が冷たい。
白地にオレンジのラインが入った空港へと乗客を運ぶリムジンバスの高い位置から窓を開け、女が男を見つめる。
瞳は切なく恋心に潤み、今にも泣き出しそうだ。それでも彼女は笑みを浮かべる。
彼女に微笑まれて男も女も恋に墜ちない人はいないと言われた、天下一品の笑顔を送りながら、手を差し延べる。
その手を取り、口付けるのは彼女の恋人だ。
名残惜しげに手の甲を撫で擦る彼の手に、指を絡めて彼女は言う。
「行ってきます」
「気をつけて」
ええ、と形の良い口元から言葉が漏れる。
本当なら、駆け寄って身を投げ出したい衝動を抑えてふたりは見つめ合う。
発車を告げるアナウンスの後、バスはゆるやかに走り出し、赤いテールランプを閃かせてあっという間に去って行った。
後に残された男の前髪を、風がなぶる。
ほんの少し前まで、ふたりは抱き合っていた。
衣服も理性も全て脱ぎ捨て、肌を重ねた。
一時も無駄にできないというように、ぴったりと身を合わせ、繋がっていた。
別れが近かったから、余計燃え上がったのかもしれない。
交歓の名残をお互いの肌に纏わせた。
どれだけの時間、そうして立っていただろう。
「後朝の別れ――というやつかしら」
時間にしてほんの数分。男にとっては一瞬とも永遠とも受け取れた時を寸断するように、その声は彼の元に届いた。
彼は一気に現実世界へ舞い戻り、声がする方へ振り返る。
女だった。
ふふ、と相手は笑みを浮かべる。
「お久し振り、慎一郎」
片足に体重をかけて腕組みをして立つ彼女は腕を解き、彼に手を振った。
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