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まだ私が小学生だった頃、父がヨーロッパに出張に行くことになった。
当時は「海外」に行くのは、まだ大騒ぎで、
会社の同僚から「餞別」を貰い、
「XX君、海外視察激励会」なるものを夜な夜な繰り返していて、出掛ける前にすっかり疲れ果てていたことをよく覚えている。
出発は成田空港はまだできていなかったので当然「羽田空港」。
会社の人と一緒に見送りに行った。
当時はヨーロッパに行くのに「南回り航路」という東南アジア、南アジア、中東の中継地で離着陸を繰り返して、父の場合もエジプトでの観光が第一の目玉だった。その後、ローマ、パリ、ロンドンと滞在して観光と現地のファッション関係の店舗の視察。
日程も緩やかで今のグループツアーとは違って随分と優雅な旅だったらしい。
3週間ほどして羽田から戻ってきた父は、その足で直ぐに写真屋に向かっていた。
旅行中に撮った写真を現像するためである。
これも今とは違って「フィルム」であったので、現像、焼き付けが必要で少々時間がかかった。
写真が出来上がるまでの間は、父が買ってきてくれた切手などのお土産品とお土産話に未だ見ぬ外国のイメージを膨らませていた。
「ほら出来てきた。」
そういう父の手には分厚い封筒の束。
中には現像されたフィルムと焼き付けられた沢山の写真。
「見せて。早く見せて。」と叫ぶ私と妹を側に座らせて、父は別に買ってきていたアルバムに写真を挟んで行った。
「このラクダ乗せの男はひどくてね。
一旦、乗せた後に降りたかったらもっとお金をよこせって言うんだよ。」
とか、
「ルーブル美術館はひどく混んでてね。絵を見に行くというより人を見に行った様な感じだったよ。」
という話を興味深く聞いていた。
(海外に行くなんてうちの父さんはすごいな)
と、子供心にもそう思ったものでした。
(いつかは自分も行きたいな)
どうすれば海外に行けるかなんて想像もできなかったので仕方がないですが、その頃は漠然とその様に考えていました。
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