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10年前
その後、転職したアメリカの通信会社が日本の事業を日本の会社に売却することになって、ファイナンスのトップとして買い手に出向いて事業計画のプレゼンテーションを行う。
アメリカ本社の日本の事業が分かっていない奴らが作った計画で買い手からの質問に作成した外人どもが回答できずにいた為、買い手も計画の信ぴょう性を計りかねて交渉から降りるかという段階であった。
結局3日間先方に通いつめて、相手側から「やっと話のできる人が出てきた。」と、感謝され買収は無事にクローズされた。
事業売却が上手くいってなければ、大規模なリストラは避けられなかった。
そう安堵する一方で、自分のプレゼンテーションで自身の会社を他の会社に売却したことには複雑な思いがあった。
「よくやってくれました。」
日本法人の社長の言葉が虚しく響いた。
結局、この社長を含めて大部分のマネージメントと共に新会社に移った。
日本の上場企業の子会社になった。
ここでも経理財務のトップの立場で新しい企業グループへの統合、四半期ごとの監査と忙しい日々を過ぎしていた。
その間、外資系を離れた事により失った海外拠点の新設もする必要があった。
中国、上海に設立した現地法人の経理担当者の採用に羽田空港から2泊3日の弾丸ツァー。
これが初めての中国本土への旅だった。
1年経った頃には会社運営も落ち着いて来たが、逆に「このままで良いのだろうか?」との思いも強くなってきていた。
「皆んなで新しい会社を立ち上げ、新しい製品を出し、従業員にフェアーな会社にしよう。」との思いでスピンオフしたはずだったが、
子会社であり自分達が思う様に投資ができる訳ではなかった。利益に対するプレッシャーも大きかった。
何より元の会社から来たマネージメントが固定してしまっていて、従業員に将来の展望が持てなくなってきていた。
このマネージメントは皆んな元の会社の更に元の会社のほぼ同期。
力のある若手から転職するものが出てきた。
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