第1章

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「そうなんです。京急って地味なイメージがありますが、メジャーな駅も多くあるんです。たとえば品川や横浜、蒲田、それに横須賀中央もそうか。でも、他の駅が寂れてるからイメージ的に損しているんですよね。僕の住んでる雑色や隣駅の六郷土手なんてまず用がなきゃ降りないですし。それに八丁畷ってまず読めないですよね。僕が御社に入社しましたら、チャンスが多く眠っている品川や横浜などの大都市で勝負を賭けたいんです」 一人盛り上がって、次の言葉が口元から出かかった瞬間、これまで無口だった左の面接官が静かに口を開いた。 「寂れてるのは、君の気持ちなんじゃないですか」 「え?」 「何を基準に、雑色や六郷土手が寂れていると決めつけたんですか」 「い、いや、ただ僕は人が多い駅が」 「君、確か人のために働きたいって言っていたよね」 「ええ、まあ」 「モノを作る、モノを売る商売に必要なのは、柔軟性と広い視野を持つこと」 「ええ」 「君のように、面接マニュアルを暗記して、それでたとえ入社しても、すぐに行き詰る」 「・・・」 「そして、弊社に必要な能力は、君が寂れていると言った、急行が通過する駅にこ暮らす人々の息遣いを感じる力だ」 「それもそうですけど、御社が目指している・・」 「どこかから借りてきたような言葉を並べるのなら、もう結構です」 「で、でも」 「君が望んでいる将来は、周りに優越感を与えるような安定ですか。それとも周りを驚かせたい世界的な企業ブランドですか」 それは僕にはこう聞こえた。 東京の大都市、品川ですか。 それとも世界の玄関口である羽田ですか。 ちがう。 その瞬間、この沿線で過ごした、小さい頃の思い出や青春時代の苦い思い出が風景となって頭の中を駆け巡る。 小学生の頃、両手の人差し指を口に入れ、左右に口を広げて“金沢文庫”って大きな声で言い合って、大笑いしたっけ。 免許を受け取りに行ったのは、そういえば鮫洲だった。 初めて彼女をデートに誘ったのは、三崎口駅を降りて、迷って迷ってたどり着いたマリンパーク。 初めてのアルバイトが大田市場。平和島駅からバスで行ったっけ。 坂本龍馬に憧れて、立会川で途中下車したっけ。 そして初めての親孝行は・・・ 「本日の面接は、これで終了です。後日、結果を郵送します」 この街、この沿線を愛し、いつでも顔を見せられる距離を大切にすること。
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