第1章

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 私は今でも忘れることはない。一度悟を抱いて別れ、その後会えない可能性を知った時の絶望を――。  現に悟と同じ手術を受けた9人の子供のうち、生き残ったのはたったの2名だけだった。7人の子供の命は母親にとって一期一会になってしまったのだ。 「中学まではテニス部を認めていたじゃないか」 「あれはちゃんと調べたからよ。運動量が高校に入ると、極端に代わるの。顧問の先生にも何度挨拶にいったかはわからないわ」  私の怒りをぬらりくらりと交わす旦那に憤りを覚える。だがそんな彼だからこそ、私達は今まで二人三脚でやってこれた。  私の子供が心臓疾患に掛かっていると知った時、私達は緊急子供病院がある福岡市へ向かった。北九州では設備が整っていなかったのだ。幸い、市の制度で三歳児までの医療費は全額無料であり、私の子供は不自由なく手術を受けることができた。  私はその時、まだ25歳でおろおろすることしかできなかった。彼と結婚して同居していたが、新婚生活の中でも不安はあったのだ。私達はバンドマンで、バイトで生活しており、音楽でメジャーデビューを目指していた。
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