第1章

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 地元から東京に転勤して一か月と少し、ほとんど毎日この調子のだった。入社三年目にして、りつの精神は限界だった。電話先の相手を謝辞でなだめながら、りつは頭痛にこめかみを抑える。  その夜、りつは終電を逃した。    翌日もりつは駅のホームへ急ぐ。今日もろくに寝ていない。  りつはため息をつく間もなく、駅のホームへ続く階段を急ぐ。すると、階段を上った先に、薄汚れたハンカチが落ちていることに気付いた。  いつもであれば落とし物に気を配ることはないが、そのハンカチにはどこか見覚えがあった。誰かが落としたかのか、それとも風に舞ってきたか。りつはそれを拾い上げ、周囲を見渡す。落とし主と思しき人は見当たらないどころか、駅のホームには誰もいなかった。  そのまま捨ておくのも気が引けたため、落とし物として届けようと考えたそのとき、強烈な突風が吹いた。  りつは身をすくめるが、その際思わずハンカチを取り落とした。風に舞うハンカチは、黄色い線の内側にぽとりと落下する。りつは線路内に落ちなくてよかったと思い、ハンカチに駆け寄った。  りつがハンカチを拾い上げたそのとき、唐突に電車が、りつの眼前を猛烈な速度で通過し始めた。  りつは、はっと身をすくめる。電車が来ていることに全く気付かなかった。電車到着のアナウンスにも……。  ふと、りつは通過する電車内に、りつの視線の先から全く動かない人影があることに気が付いた。  りつはどきりとした。電車は移動している。しかし、人影は通り過ぎていかず、目の前にたたずんでいる。りつは恐る恐る顔を確認しようとするが、車窓の枠が断片的にその人影の姿を隠してしまい、その容姿は判然としない。  次の瞬間、その人影はりつにゆっくりと手を伸ばした。りつはびっくりして反射的に後ずさったが、伸びてくる手がりつの腕を掴む方が先だった。その手がりつの腕を引く。りつはとっさのことに混乱し、抵抗もままならず、そのまま電車に引き寄せられる。電車はいまだ通過しきっていない。そんな最中、りつは聞き覚えのある声を聞いた気がした。同じ言葉が繰り返されるが、しかし焦るりつこにはその声は判然としない。  嫌、そんな――。  京急本線を電車が通過した。駅のホームには人影はなく、そして、誰かがいた形跡もない。
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