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「このハンカチのこと、もしかして、覚えてない?」りつに尋ねた。りつには、特に思い当たる節がなかった。
めいは、りつの思案顔を察すると、「そっか。そうだよね」と少し残念そうにつぶやいた。
「……会社、行こうか」
めいは、ほら、とりつに一声かけると、会社の方向へと歩を進める。
「ねぇ、このハンカチがどうかした?」
気になったりつはめいに尋ねるが、なんでもないと誤魔化されるばかりだった。
りつは今出てきた改札口を振り返る。駅名表示には品川とあった。社員寮としてあてがわれたアパートのある新馬場から一駅、勤め先の会社の最寄り駅だった。
めいの言うことも気になるが、りつは未だこの場所に現実感を感じることができずにいた。もしかしたら、夢の中かもしれない。そんな馬鹿げた予感すらある。
会社への道すがら、りつはめいに思い切って問いかけた。
「めいはさ、行方不明って聞いてたけど、どうしてたの?」
声に出してから、もう少し違う聞き方はなかったかと反省する。
めいははそんなのりつの素振りは気にせず、何げなく質問に答えた。
「あ、そっちではそういうことになってるの」
「そっち?」
りつは怪訝な表情になる。
「あ、ごめんね。説明がいるよね」
めいはりつに微笑みかける。
「私ね、一ヶ月くらい前に電車に飛び込んでさ」
めいはさらりと言ったが、りつは衝撃を受け絶句する。思わず歩みが止まる。
「あ、ごめんごめん、驚かせちゃったね。飛び込んだというか、呼ばれたというか、不思議な感じなんだけど、今こうしてピンピンしてるから大丈夫。……ちょっと辛くってね。でも、ここなら大丈夫。安心していいよ」
めいはそれ以上特に何も言わなかった。
二人は職場に着いた。そこは普段と変わらない様子だった。
「おはようございます」
めいの挨拶に、周囲は違和感もなく挨拶を返す。
めいが自身のデスクにつく。しかし、めいが座ったその場所は、昨日までりつの席だった場所だ。
りつが座りあぐねていると、めいは「どうかした?」と視線を投げてくる。りつの普段と違った様子を察したのか、怪訝な顔をした上司もりつを気にかけ始める。
めいが帰ってきたというのに、周囲には何の反応もない。少なくとも、私以外はこの現状を受け入れてるようだった。りつだけがどこか居心地が悪かった。しかし、そのままでいるわけにもいかないので、めいに促されるまま席に着く。
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