第1章

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 すると、りつのデスクの電話が鳴った。りつは条件反射で受話器をとる。 「一体どういうつもりですか?」  名乗らない声の主は取引先の東だった。りつは一気に現実に引き戻される。また文句を言われると考えるとうんざりした。  そのとき、めいがりつの表情を察し、りつの肩を叩くと、「貸して」とりつの手から受話器を優しくとった。 「どういうつもりもないですよ、その書類は先週送りましたから。ちゃんと確認してください」  りつは驚いた。東は自分のミスを認めない。そんな言い方をしたら、なんて言い返されるかわからない。  しかし、文句の声は漏れ聞こえてこない。受話器越しに「確認しました。申し訳ありませんでした」という声が聞こえ、通話が終わる。  めいはふぅと一息つくと、受話器を置いてりつに向き直る。 「大丈夫?」  りつは信じられない思いだった。 「流石めいさん。面倒見がいいね」  その様子を見て、西が、めいを誉めそやした。りつは西を、驚きをもって見つめる。  西が、他人の仕事を認めた上、職場で砕けた物言いをすることに、りつは激しい違和感を覚えた。めいの方を見やると、「ね?」と声に出さない視線でめいが見つめてくる。大丈夫でしょ?  その他、書類の山がいつの間にかなくなっていること、職場の緊張感が薄れていること、いつもより圧倒的に少ない電話の本数など、その日はいつもとは様子が異なることがたくさんあった。同じ職場のようでいて、全く違う場所のようだった。  りつは違和感を覚えたままではあったが、めいに聞いても笑顔を向けられるばかりで何も答えてはくれなかった。結局、その日はそのまま仕事を終えた。りつの胸中は悶々としたままであったが、それでもいつもの日常に比べるとずっと穏やかな一日だった。  りつは、めいとともに夕方過ぎに退社した。普段であれば信じられない時間だった。  めいは、りつと同じ職員宿舎に住んでいるとのことだったため、帰りも一緒だった。  めいは久々だからと思い出話や日ごろの愚痴を語った。りつは気もそぞろに、駅までの道を歩く。駅についても、品川から乗る京急本線の電車は他の電車よりも本数が少ないため、電車に乗る人、降りる人の往来が、何回も二人を通り越していった。また一本電車が通り過ぎた。めいの口数が少しずつ減っていく。  りつは、少しためらったが、今が好機とめいに問いかけた。
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