第1章

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  光太郎は生まれて間もないころ、父親の勤め先の社宅が称名寺のそばにあった関係で両親と共にこの金沢文庫に住んでいた。  そのことは子どもの頃、両親から聞いていたが物心つく前のことでなんともピンとこない。 まして記憶などあろうはずがない。  それでも称名寺まで続く緩やかな坂の両側に広がる家々を眺めながら歩いていると、遠い記憶が呼び戻されるようなどこか懐かしい気持ちになってくる。  称名寺は鎌倉時代、北条一族の実時( さねとき )が相模の国、六浦荘金沢の居館内に建てた持仏堂(阿弥陀堂)を起源とし以後、金沢北條氏の菩提寺として発展した。  駅名の金沢文庫は北条実時が自宅内に設けた文庫のことで現在は神奈川県立金沢文庫として古文書などの図書館になっている。  光太郎は参道の入り口にある北条氏の家紋の入った赤門をくぐった。 ここから二体の仁王像が立つ山門まで桜並木が続いている。  新緑の枝を揺らす風に微かな汐の香りが感じられ海の近いことがわかる。  かつて想い人に会うために自分と同じように汐の香りを感じながらこの参道を歩いた古人(いにしえびと)もいただろう...光太郎はそう思うことで多少のエクスキューズを感じることが出来た。 なにせ...ナンパしておいて名前も連絡先も名乗らない男と再会を約束し、それも2か月後に待ち合わせ...などとある意味、体よく断られたのである。      それにも拘わらず光太郎をここまで来させた理由は、彼女にもう一度会いたいという強い思いは勿論だが、あの日の凛とした彼女の言い方に嘘をつくような印象が感じられなかったからである。 それでも高2になったばかりの一人娘の紗矢香には思いっきり笑われて 「コータローのそういうヌケたところが大好きなんだよね~!」 とからかわれ、今朝も 「今日はぶらり称名寺散歩になっちゃうね~!なんなら学校サボってボクがデートに付き合ってあげてもいいよぉ~?スィーツ付きで!」 とからかわれ頭をコツンとやって学校へ送り出したのだった。  ...まぁな~、確かに今日はこの辺りをのんびり散策してもよい、光太郎はそんな言い訳まで用意して自嘲ぎみにやって来たのは嘘ではない。    仁王門と呼ばれる山門までやってくると左右の仁王像の力強い睨みがまるで自分を睨んでいるような気がして光太郎は思わず首をすくめた。
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