第1章

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1月12日(火) 京浜急行、上大岡駅 特急電車がホームに近づいて来る。高村真希は、ふと腕時計を見た。時刻は6時54分。毎朝この電車に乗る生活が始まって、来年で五年が経つ。速度を落としながら目の前を通り過ぎて行く電車を、真希はじっと見つめていた。できるならば乗りたくない、苦行のような時間がまたやってくる。真希は心の中でため息をついた。電車が止まった。嫌々ながらも、真希は前の人に続いて車両に乗り込んだ。 いつも通りの満員電車。後ろのおじさんに押し込まれて、ぎゅうぎゅう詰めの状態になった。こんな生活もう嫌だと思うのは、毎朝の恒例行事。やっとの思いで、吊革に掴まろうと手を伸ばしたところ、左にいたおじさんに先を越されてしまった。しかたなく手を引っ込めようとした瞬間。その隣の吊革を掴んでいた男性が手を離し、網棚のところの手すりに掴み替えた。真希は隣の男性をチラッと見て、それから持ち主のいなくなった吊革を見つめた。誰も掴もうとしない。しばらくしてから、男性に向かって小さく頭を下げてから真希は吊革を掴んだ。 2月19日(金)品川駅、ウイング高輪 「じゃ、とりあえず乾杯。おつかれ。」 と、真希はビールジョッキを持ち上げて、正面に座る奥井美咲とグラスを合わせた。美咲は、真希の大学時代からの友達で、卒業してからもちょくちょく会っては、一緒に遊んだり食事をしたりしている。真希は、一気にビールを半分ぐらい飲んで、ジョッキをテーブルに置いた。学生時代はビールは苦くて嫌いだったが、社会人になり、ようやくこの苦みのおいしさが分かるようになった。テーブルに置いてある美咲のスマホが鳴った。美咲はスマホをチェックし、メッセージを打ち込んでいる。 「陽ちゃん、もうすぐ品川駅に到着するって。」 陽ちゃんこと藤田陽子は、やはり真希の大学時代からの友達で、真希にとっては、どちらかというと、美咲よりも陽子の方がより親しみを感じることができる相手だった。美咲はスマホをテーブルに置いて、グラスを手に取り、カシスオレンジを一口飲んだ。 「こんなに早く着くなら、待ってればよかったかな。」 と、真希はバッグの中のスマホを取り出して、自分にも届いていた陽子からのメッセージをチェックした。 「いいんじゃない?話は変わるけどさ、真希、大学の時の吉田君って覚えてる?」 と、美咲はグラスを置いて、両肘をテーブルについた。
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