第1章

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 手紙は、もちろんイルカに宛てて書いたものだ。というのも、一ヶ月前のこと、真希は上司から異動を告げられた。入社してからずっと同じ部署にいたので、そろそろそういうタイミングだろうということは予想していたが、やはり少しばかり衝撃を受けた。しかも、新しい部署は今までよりも三十分早く出社しなければならない。もう二度とイルカに会えないかもしれないということで、最後の日に思い切って手紙を渡そうと真希は決意したのだ。 この日、イルカが電車に乗っていないというアクシデントも想定されたが、無事に乗っていたので第一関門はクリア。そして、真希の決意を後押しするかのように、運よくイルカの隣に座ることができた。イルカは読書をしていた。村上春樹のノルウェイの森。どうやら村上春樹のファンのようで、これまでも他の作品を読んでいるのをちょくちょく見かけたことがある。 イルカが本のページをめくった時に、彼の肘が真希の腕に当たった。真希の緊張が倍増した。下車駅に近づくにつれ、真希の心臓は口から飛び出しそうなほどに鼓動した。 あと二駅。真希はバッグのファスナーを開けて、手紙を確認した。 あと一駅。バッグの中で手紙を握りしめた。 駅に到着。真希は慌てて立ち上がり、車外に出た。ホームに立ち止まって、バッグに入ったままの手紙を見つめる真希。真希の背後で、電車がゆっくりと動き出した。 4月25日(月) 上大岡駅  真希は上大岡駅の改札を出て、京急百貨店に入り、上りのエレベーターに乗って書店に向かった。ビジネス書のコーナーへ真っ直ぐ行き、労務関係の書籍を探す。人事担当の部署に異動になって、分からないことだらけの自分が情けなくなり、きちんと勉強しなくてはいけないと思ったのっだ。目ぼしい書籍は、インターネットで検索してきた。初心者向けのものと、少し上級のもの。両方とも見つかったのでレジに行こうとしたが、ふと思いついて、小説のコーナーに方向転換した。ま行の作家の棚の前で足を止め、ノルウェイの森を手に取った。
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