第1章

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 レジを済ませて、腕時計を見ると、時刻は20時半を過ぎていた。今日は、両親が揃って外出しているため、このまま夕食を食べて帰ることにし、エレベーターで地下へ向かった。母とよく行くウイングのパスタのお店に決め、すぐに席に通された。店内には、一人の客が他にも数名いる。真希はクリームのパスタとビールを注文して、先ほど購入したノルウェイの森を袋から取り出した。ブックカバーを丁寧に掛け直して、表紙を開いた。読み始めようとしたところで、店員の女性がビールを持ってきたので、ひとまず本をテーブルに置いて、ビールを一口飲んだ。喉がすっきりとする。もう一口飲んでグラスを置こうとしたところで、店に入ってきた客が視界に入った。その瞬間、真希の胸が鼓動した。  目の前に、イルカが立っている。店員に導かれ、イルカは真希の隣のテーブルに座った。真希の心臓は爆発寸前。何度も会っているのに、全然知らない人。でも、とても会いたかった人。声を掛けたいのに、声帯が潰れてしまったかのようで、お酒の力を借りようと、震えそうな手でグラスを掴もうとした時、 「あの。」  横から声を掛けられた。手を引っ込めて声の方に顔を向けると、イルカが微笑んでいる。 「あの、以前によく朝の電車でお会いしたと思うんですけど、覚えてないでしょうか。」 「はい、覚えてます。もちろん。」  真希の声は上ずっていた。 「よかった。頻繁にお会いしたのに、ご挨拶すらしたことないから、どうしようかと思ったんですけど。」 「はい、私もです。お声を掛けてもいいものか、悩んでました。」  ようやく、真希は元の声を取り戻し、鼓動も落ち着いてきた。店員が注文を取りに来たので、イルカはビールとパスタ、ピクルスを頼んだ。 「おいしそうだから、見てたら飲みたくなりました。」  と、イルカは真希の目の前にあるグラスに目を向ける。 「喉が渇いてしまって。」  真希は少しはにかんで言った。 「あっ、話してて大丈夫ですか?ご迷惑でしょうか。」  イルカがテーブルに置いてある本に視線を向けた。 「全然です。むしろ、話し相手ができて楽しいです。」 「お待たせしました。」  と、店員がビールをイルカの前に置いた。イルカはグラスをもって、真希の方にグラスを近づけたので、真希もグラスを持ち上げた。 「何を読んでいるんですか?って聞いても大丈夫ですか?」 「はい。ノルウェイの森。」
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