第1話 you are (not) trapped

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 都内のとあるマンションの一室に、緑川美代子と言う若い女が住んでいた。28歳で、30分前まで彼氏持ちだった。今は一人、風呂に入ってお湯が持つ熱に身体を任せている。  彼女の目は真っ赤に腫れている。普段は柔らかそうな頬も、左側だけ救いを求めるように腫れている。そして、涙か湯船のお湯か分からない水滴がそこを伝う度に、彼女は身体を震わせる。  彼女はジッとそれを体育座りのまま繰り返す。段々と、体の中を流れる兵隊達が行進する速度が速くなっていく。彼等は活気があるにも関わらず、彼女の顔は蒼白で、両目は限界まで見開き、唇は左側に浸食されるかのように紫色になっている。また、少しパックリと切れていた。  しっかりと絞めていなかったのか、水道管の蛇口からポツンポツンと湯船に一定に垂れ落ちる音がバスルーム全体に響く。ずっと一定に鳴り続ける音は、彼女に空虚を感じさせた。どこにも行き場は無い、何も感じたくない、何もしたくない・・・そんな空っぽの心が痛いと泣き叫んでいた。  彼女は今日、大学時代からの付き合いだった彼氏の圭を略奪された。浮気先は、彼女の社内の先輩であり、今まで良き彼女の恋愛の相談相手だった。彼女が入社してきてから、ずっと先輩として仕事のイロハを教え、どんな時も味方でいてくれる女性だった。美代子にとっては、尊敬すべき女性だったのだ。しかし、今日の内にそのイメージは崩れ去り、代わりに悪魔のイメージが生まれた。最悪のどんでん返しだ。  自分がいる筈の圭の隣には、自分が尊敬していた彼女が居た。それだけが鮮明に彼女の目に脳に焼き付き、涙を零していた。勿論のこと、美代子は抵抗する為に彼氏に訴え、先輩に怒りをぶつけた。だが、それはまさかの彼氏に一蹴され、別れさえも告げられたのだった。  悔しさと怒りと嫉妬と・・・多くの負の感情が巻き上がり、絡み合った。そして、美代子が出た行動は物理的に先輩を彼氏から引き剥がそうとする事だった。しかし、それは悪い方向に傾き、圭から左頬に殴られるという結果となった。  一体どのようにして、自分が自宅まで帰ったのか何一つ覚えていない。ただ帰るまでに、冷たく冷えた風が彼女の体をせせら笑うように煽り続けていた事だけは、美代子は覚えていた。
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