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終わりの町。
彼女は自分が生まれた町をそう呼んでいた。終わりの町。
「突端だから、東京とか横浜とか、そういう都会で、うまく生きられなかった人が、集まってくるんだ」と。
三崎口駅は、敢えて作りだした作為的な賑わいを演出しつつも、哀愁はぬぐいきれなくてそこに存在している。
ドレミファインバータが響く車両を見送ると、そこから先は、草木が茂っており、もう、なにもない。
もともと僕にとって三崎口駅は、京急の電車のゆく先、例えば下りならば『三崎口駅行に乗る』という程度の目印の感覚で、駅としてちゃんと認識したのは(という言い方はおかしいのだが)、あいつとつきあったからである。
彼女との付き合いは、「恋愛」なんていうほどの四角張った強さはなかった。
ただ、そこに存在し、お互いの欠けたとこを埋めるだけの、そんな付き合い。
あいつが付き合おうと、言ったから。とくにこれと断る理由がなかったから、だから付き合った。
僕はさっきまで、JRの東海道線からぐるぐる回りつづける山手線へ乗り換えるため、品川駅構内に降り立っていた。
東海道線ホームを這い上がり、ハナレグミを耳に突っ込み、四方八方行き交う人でざわめく構内を突っ切る。あいつとの待ち合わせでよく使った品川駅。あいつとの付き合いは10年ぐらい前に終わったことなのに、久々の品川駅はまだ僕の胸もほんの少しざわつかせ、だからもう少しボリュームを上げて人の波をよけながら、山手線ホームへ向かう。
山手線のホームへ降りる階段で上ってくる人にぶつかり、耳からイヤホンが外れ僕は舌打ちをした。
その時、すぐ隣の京急線との乗り換え口からドレミファインバータの快音が聞こえてきた。
足が止まった。乗りかえ専用の連絡口から赤い車体を見え、僕はそのまま乗り換え口を通り、京急線に入ってしまったのだ。
あいつとの日々が思い出される。品川に残したままの痛みを今も京急線は乗せて発車した。
就活中だった。あの頃僕らは、就活中だった。
彼女は、自分を描いて、なりたい自分になるべく就活をしていたが、うまくできなかった。
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