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第1章
光り、ひらける
「ねえ、まだぜんぜん海、見えないんだけど」
「あせるなって」
隣りの席で、木山君(きやまくん)はにやっとした。
遠い前方、バスの運転席の横にある電光掲示板には既に、終点「三崎港(みさきこう)」の名がオレンジ色に浮かび上がっている。けれども三崎口駅(みさきぐちえき)から乗って約二十分、窓の外に見えるのは、畑や住宅、雑木林、丘を切り開いたなごりばかりだ。
海がない県にある実家の周りと、大して変わらないじゃない。
そう思った瞬間、目の前が急にひらけた。
眩しい光が車内に射し込む。
青や白に塗られた小型の船が泊まり、その先に、緑がかった水が続いて揺らめいている。
海だ! と声が出た。
「最後まで乗った者だけが、この景色を見られる」
木山君は腕を組み、また笑ったのだった。
昨日のことだ。
「赤木紗南(あかぎさな)さん。来月から、函館支社に行ってもらう」
メタルフレームの眼鏡の奥で、細い目が冷たく光った。
すぐには言葉が出なかった。心臓が急に強く速く打ち出す。
「これでも温情なのだよ? 辞めてもらってもおかしくはなかったのだから」
上司は、腕を組んだまま椅子の背もたれに身を預けた。
顔にも体にも贅肉がなく、元から体の一部だったみたいにグレーのスーツを着こなしている彼は、実際の歳である三十代半ばよりも若く見える。
背後にある窓の外では、桜の花びらが風に舞っている。
「うちも、あまり余裕がないのでね。ただでも忙しいみんなが、例の件の後処理を手伝ってくれたのは、知ってるだろう?」
鋭さを秘めた冷静な声とともに、彼は、眼鏡のフレームを押し上げた。
「本当に申し訳ありません」とわたしは深く頭を下げた。
わたしが勤めているのは、インテリア商品を扱う会社だ。家具・カーテン・照明などを、住宅やカフェ、モデルルームなどでコーディネートしたり、販売したりする。
二十六歳でアルバイトから始めて一年、ようやく、契約社員になったばかりだった。先輩のもとでインテリアコーディネートの原案を作らせてもらうことも、少しずつ増えてきていた。けれども先日、大きな失敗をして、こんなことになった。
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