第1章 窓の外の猿

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「えっ、写真撮ってきてくんないの。じゃあわたし見られないじゃん」 途端にあからさまに頬を膨らます。何なんだ、何の痛みも犠牲も払わず恩恵に与るつもりだったんだな。図々しい子だ。登るのはわたしだぞ。 「悔しかったら自分で登ってみなよ。…じゃ、いっちょいきますか」 わたしはそれ以上彼女に構わず、軽くジャンプして木の幹にとりついた。…うん、思った通り。なかなかいい具合の木の幹だ。一見しばらくの高さまで枝がないので登りにくそうに見えるが、微妙に瘤や凸凹があり、そこを頼りに進んでいける。枝のあるところまで辿り着けたらあとは余裕だ。ポジショニングの問題になる。 即ち、なるべく教室内から見えづらく、外からは内部を観察しやすい場所。三階の窓のかなり近くまで太い枝が伸びてるから、上手く葉の陰に身体を隠せれば…。 目指す大枝まで着いた。あとはあまり枝や葉っぱを揺らし過ぎないように。不自然な人目をひく様子を見せずに、窓へじりじりと接近する。 三月で一般教養課程が終わり、演者の学部の子たちとは共通の授業がほとんどなくなった。さほど多くないそういう授業の時には目を皿にして彼の姿を探したが、ついにその姿を見ることはなかった。彼、立山順基はとっくに芸能界デビュー済で、そっちの仕事が忙しいからほとんどこの大学に顔を出してなかったんじゃないかと思う。出演した舞台や番組を単位に替えられる措置があるから、多分それでクリアしたんだろう。 その彼が四月からこの学校に戻ってきた。 噂が耳に入り、わたしは決意した。高校の時からの彼の舞台のファンとしては、やっぱり授業風景は外せない。何、画像を撮ってばら蒔こうってわけじゃない。ただこの目で見てみたいだけ、ごく普通の大学生としての立山順基を。それがただの語学の授業ってのがちょっと面白みがないが。 せっかくだから、演技の実技クラスとかだったらよかったな。でもそういう授業は教室が違う。全面の鏡や広い床のある教室を使うのが普通だ。そしてその手のレッスン室はこんな枝ぶりの木が上手い具合に近くにあるような場所にはない、残念ながら。 彼の所属しているクラスは把握してるから、必修の語学の授業がここで今、あることは調べられたけど、実際の彼の姿はいまこの時までまだ拝んでいない。大学に戻ってる、っていう噂だけだ。 だから覗いてもそこにいるとは限らない、正直なところ。
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