第1章 窓の外の猿

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急な仕事が入って東京まで出てるかもしれないし、もしかしたら久々の自由を満喫して部屋でごろごろ寝ているかもしれない。まあそれはないか。語学は基本出席が厳しい。公の仕事で外してるって証明が取れなければ容赦なく欠席とカウントされる。俳優クラスだってそれは例外じゃないはずだ。 葉陰に身体を隠すようにして慎重に前に進む。が、前に行き過ぎないように気をつけないと。当たり前だけど枝は先端に行くほど細くなるから、どこまでわたしの体重を支えられるかわからない。いくらわたしが当年とって二十歳の女性としては相当軽い方だとしても。 それにしても。 この様子だと思ったより窓の近くまで行けそうだ。そうなると今度は向こうに気づかれないように気をつけないと。そっと枝をかき分けて隙間から顔をのぞかせ、むしろぎょっとした。 …近い。 教室自体が結構狭く、せいぜい二、三十人程度の収容能力しかないのだが、そこにフルに学生が入っているのかかなり窓際まで席が迫っている。その並びにまさかの目当ての彼が着席してるじゃないか。ラッキー。 ぼんやりと肘をついて前方に目をやっている。居眠りしたり内職してないだけマシだが、お行儀はよろしくない。こうして見ると若干顔立ちが整っただけの普通の大学生だな。と、ファンのくせにリアルかつクールな感想を抱く。見るからに特別なオーラを放っていたりはしない。 でも、だからこそ、あの舞台での存在感は一体何処から来るんだろう、とつくづく不思議に思う。 その気の抜けた構えない表情をしばらく見つめているうちに、なかなかこんな顔してる彼を見る機会なんて今後ないんじゃないか、だったらやっぱり写真に撮っておきたい、とあらぬ欲望がむくむくと頭をもたげる。他人の目を全く気にしてない売り出し中若手俳優の無意識の姿なんて滅多に見られるもんじゃない。窓の外が木の葉で覆われてるのもまた人目を意識しない感覚を助長してるのかもしれないが。望遠レンズで狙われる心配もないし、まさかこの高さまで実際に登ってくる阿呆なファンがいるとは想定してないんだろう。普通に考えると彼の熱心なファンは大抵女の子だろうし。 わたしの場合は、まあ勿論熱心なファンと言えなくもないけど、一番大きな動機は「この木ならわたしには登れる自信があるから」なんだけど。
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