第1章 窓の外の猿

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そういうわけで、つい欲をかいたわたしは上体を伸ばしポケットから取り出したスマホを彼に向けて構え、覗き込んだ。 思ったより小さい。 ちょっと不満な気持ちがこみ上げる。肉眼で見るとこんなに近いのに。ここは彼の一番近くとは言えないのは確かだ。そこの窓枠に三人の人物が並んでいるが、彼はその一番後ろ、三人目の位置。わたしは身じろぎし、少し自分の場所をずらした。スマホ画面をピンチアウトしてズームを最大にする。撮影する気なんか全然なかったからちゃんとしたカメラの用意なんかない。これで何とかしなくちゃ。 ちょっと不安定な姿勢を支えるために片手で枝につかまり、片手で何とかスマホを構えた。ちょっと画面が偏り過ぎ。もう少し右。もっと。 じりじりと姿勢を変え、何とかシャッターを押した瞬間、彼は顔を外に向けてこっちを見た。その一瞬でどんぴしゃにわたしと目が合う。 向こうの眼球が大きく見えたのと、わたしの身体が動揺のあまり大きく傾いたのがほぼ同時だった。何とか体勢を立て直す。いくらわたしでも、この高さから落ちたらとても無傷では…。 「…ちゆ!ちょっと!…先生来るよ!」 下から板橋の容赦ない叫び声が響き渡り、びくんと手が枝から離れた瞬間ああ、もう駄目だ、とわかった。これはもうバランス取れない。持ちこたえられないわ…。 彼のいつもはクールな切れ長の目が、僅かに見開かれたのを見届けてわたしは重力に逆らえず下へとなす術もなく落ちていった。 わたしたちが通っている大学は関東の端っこの山の中にある、基本全寮制の芸能関係学部専門の学校だ。「基本」全寮制、と言ったのは、一年間の一般教養課程が終わると寮を出て下宿するのは一応自由になるから。とはいえ人里というか、町まで降りていくのには三十分以上歩かなければならず、大した物件もないので寮を出る学生はそれほど一般的ではない。希望すれば卒業まで寮に住むことは可能だし、大抵の人はそうしているようだ。実家が近隣にある学生はまずいない。こう見えてもそんなに入学するのは簡単ではない。学生の数もそれなりに抑えられているし、セレクションもきつい。 わたしの場合は高校の時に人に誘われて軽い気持ちで入った演劇部で舞台美術にのめり込んでしまい、それ三昧で三年間を過ごしてしまったので残念ながらそのキャリアを活かすより他に進学の道がなかった。いやないことはないけど。
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