第1章 窓の外の猿

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「身軽さと咄嗟の状況判断か。あんた、なかなかやるな。あの後なんの騒ぎにもならなかったし、どうやって切り抜けたのかと思ったけど」 女の子が三階の高さから落ちたわけだから、もし誰にも気づかれず怪我して下に倒れていたらいけないとは思ったものの、騒動にしない方がいいかとも迷い、あと少しで授業が終わりそうだったのでそこはぐっと我慢した。終わるなり窓を開けて身を乗り出して下を見たけどそこにはもう誰もいず、何の痕跡もなかったという。 「そのあとも一応確認のため下に降りてその辺を見回ってみたけど。植え込みが荒れてるのには気づかなかったな。まあとにかく、無事でよかった」 わたしはさすがに身を縮めた。 「…すみません、ご心配おかけしました…」 無礼なファンにプライベートを覗かれた挙句に、その安否まで心を配ってくれるとは。若くして売れて降るような仕事をこなしてるだけある。人間出来てるなぁ…。 カフェテリアに向かうと思ってたのに何故か道を逸れ、いつしか裏庭に出ていた。まさかと思うがわたしの落下した現場に向かっている。…犯人を連れての現場検証? 「この木だよな、確か」 「ああ、そうです。これ」 思わず手を伸ばして木の幹に触れる。忘れもしない、この登りやすそうな凸凹。立山順基は小さく唸るような声を出し、上体を伸ばして梢を見上げた。 「下の方に枝が全然ないぞ。よく登ろうと思ったな、これ」 「いえむしろ、これ登りやすそうだな、と思ったからチャレンジしてみたんです。だって、ほら。あそこに瘤が出っ張ってるでしょ。そこに掴まって、次はあそこに枝を切った痕が膨らんでるから、ここに足をかけて。…あ、実演できればいいんですけど」 ずる剥けて大きな絆創膏を貼られた両手のひらを彼に向けると、顔を顰めて首を縮めた。 「いや、いい。実際にあの場所まで登ったのはもう見てるから、信じるよ。…そうか、これって登りやすいんだ」 木の幹をぱん、と手のひらで叩いてみせる彼にわたしは頷いた。 「登り慣れた人ならみんなわかると思いますけど、そうですね」 「ふぅん。…俺の見込み通りかな」 小さな呟きが嫌に意識に引っかかる。…え、見込みって?何の? 「…小川千百合。神奈川県出身、大学二年。十九歳」 呟くように続けた言葉にのけぞる。…何だ、わたしの名前知ってるじゃん。何で教室で呼ぶときわざわざ『猿みたいな女』って言ったのか。
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