第1章

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「有り難くちょうだいするよ、助かるよー。でもさ、ボク、まだ新居決まってないんだー。ホテルで仕事すると奥さんがあんまりいい顔しないの。自宅に仕事を持ち込まない約束して結婚したからさ。約束はするもの、守るもの。夫婦円満の秘訣は、二人の決まり事は破らない。いいかい? 覚えときなよ」 知るか。 「君程の人なら、ライブラリを利用すれば良かろうに」 慎一郎が言う『ライブラリ』とは、学校や公共機関の図書館のことではもちろんない。 会員制の有料図書館を指す。 一般の人や飛び込み利用者は一切入室できず、会員も原則として紹介者が必要だ。 ゆったりした空間に、一般オフィスと変わらないOA機器がフルで使え、コンシェルジュ機能もついている。 構内は大小複数の個室を有し、それぞれにくつろいだり、自習・仕事をしたり、談笑に使えたりなど、用途ごとに区分けされているので、ユーザー同士のトラブルも回避できる。 「もちろん。方々から勧められたから、帰国してまっ先に会員になったよ。だけど」 人の悪い顔をして宗像はほくそ笑む。 「ここの方が落ち着くし、何かと面白そうだから」 自分は全く面白くない。 「ま、あと少し。原稿が仕上がるまでの間だよ。有能な秘書もいるし、お互い顔付き合わせてる方が話早いじゃないの」 有能な秘書? 誰のことだ、と言いかけた時、「入りまーす」という声と同時に半開きになっているドアの影から顔が覗いた。 「いいですか?」 愛嬌のある表情がにっこりと微笑んだ。 顔だけ見ていると、化粧っ気ゼロなのに女子力が異様に高い人物だ。が、声は女子にしては低い。口調もさばさばしている。 「いいよ、入って入って。気にしないで」宗像は手招きした。 「はーい」 愛想良く部屋へ入り込む姿はしなやかで、まるで猫科の猛獣だ。 ヤマネコやヒョウは、遠目にはイエネコと変わりない愛らしい表情や仕草を見せる。が、牙や爪は鋭く、あっさり生き物を屠る力を持つ。 「増沢君か」 「はい、先生」 ひやりとしたかわいさを持つ彼は、慎一郎と宗像に猛獣の笑みを見せた。
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