二章 海と星、金魚

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この別棟には、許しのない者は入れない。 以前の研究所のほうが設備はととのっていた。が、蘭は、こっちのほうが好きだ。実家や、東堂家の町屋を思いだす。 (実家は、もう朽ちただろうな。父や兄たちは骨となり、家財道具も盗まれ。もしかしたら、焼き討ちにあったかもしれない) 昔のことを思いだしたせいか、やはり、不安がつのる。 蘭は、ハシをおいて、立ちあがった。 「ごちそうさま。水魚。今日は執筆するから、部屋をのぞかないで」 「待って。蘭」 水魚も立ちあがり、呼びとめてくる。 蘭は自分の魂胆が、バレたのかと、あせった。が、そうではない。水魚は着物のたもとから、ツゲのくしをとりだす。 「身だしなみは、ちゃんとしてないとね。君は御子さまなんだから」と、蘭の髪をととのえる。 「家のなかにいるだけだよ」 「それでもだよ。ほら、きれいになった。今日も、とても魅力的だ」 蘭の出来栄えをかくにんしていた水魚は、急にガマンできなくなったらしい。蘭を抱きしめてくる。 「どうかしたの? 水魚」 たずねても、蘭を抱きしめる腕に力が、こもるばかりだ。巫子は常人より腕力が強い。きゃしゃに見える水魚も例外じゃない。 「苦しいよ。水魚」 「ああ、ごめん。愛情の発露を止められなかった」 「水魚だから許すけど、他の人ならストーカーだよ」 「君に嫌われないようにしなくちゃ。行っていいよ。でも、その前に歯磨きはして」 水魚に言われたので、書斎に入る前に歯磨きはした。でも、書斎に入ったあと、おとなしくしてるつもりはない。 こんなこともあろうかと、じつは準備してあるのだ。 別棟の窓は、すべて、はめころしの格子で、ふさがれてる。が、格子の枠にそって、ノコギリで切りとってある。 蘭が枠に手をかけると、すっぽり格子が外れた。人間一人が抜けだせるスキマができる。 クツもデスクの引き出しに隠してある。それを持って、窓から庭に出る。格子は外から直した。 玉砂利のしかれた日本庭園を、ドロボーみたいに走っていく。 門前をのぞくと、数台の車両がならんでいた。製塩用の機材と兵士を乗せたトラック二台。 それに、蘭たちが京都から逃げだすときに使ったワンボックスカー。 水魚は、いずれガソリンがなくなることを考慮していた。車両は、すべて電気で走るタイプだ。あるいはバイオ燃料とのハイブリッド。
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