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「そのまんま、海、とびこめよ。そのほうが早い」
「秋なのに海水浴か。寒そう」
「泳ぎたかったんだろ?」
「夏ならね」
「塩釜の近くにいたら、あったまるよ」
「燻製ニシンになりそう……」
猛は笑って、蘭の肩を抱いた。
蘭は腹いせに、折りかさなる死体の一つをタマげりしてやった。それは死体ではなかった。失神してただけだ。悶絶して息をふきかえす。
「なんだ。生きてるんだ。こいつ」
蘭は猛のホルスターからマグナムをとる。男の頭に、つきつける。が、引き金をひく前に、猛に止められた。
「まあ、未遂だったんだから、ゆるしてやれよ」
自分は、さんざん、殺したくせにーーと思ったが、
「やるときは、おれがやる」
ああ、そういうことね。僕の手を汚させまいとしてるんだ。猛さん……。
蘭が感動してるよこで、猛は合理主義の側面をひろうする。
「なあ、おっさん(実年齢は、たぶん、猛が上)、米、食いたくないか?」
大事なところをけられたり、銃で殺されそうになったりして、青くなってた男が、みるみる紅潮してくる。
「米?」
「そう。白米。みそ汁つき」
「みそ汁ッ?」
男は涙をながしだした。
「米……みそ汁……夢か? そんなもの、二度と食えると思ってなかった」
「おっさん。訛ってないな」
「おれの郷里は神奈川だよ。パンデミック前は、東京の証券会社に勤めてた。薬屋や牙狼会の人狩りから逃げまわってるうちに、こんなところまで……」
ボロボロ涙が流れおち、男の垢まみれの顔に黒い筋を作る。
「牙狼会ってのは、初めて聞くな」
「パンデミックのあと、東京を掌握した暴力団さ。東京は……地獄だった。ヤクザどうしが争って、弱いヤツは、なんの意味もなく、バンバン殺された。無我夢中で逃げたんだ」
「おっさん、よく生きてこれたなあ」
「学生時代は、ラグビー部だった。体力には自信があった。今は、こんなだがね。いつも腹ペコだよ。餓死寸前さ」
「じゃあ、まず、メシ食えよ。それから、商談だ」
「商談……?」
とたんに、男は、いぶかしげになった。が、竹の皮に包まれた大きな握り飯をさしだされると、一心不乱に、かぶりついた。
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