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《古代 蛭子2》
蛭子は、さ迷った。
あてもなく、行く場所もなく、野山を歩き続けた。
いっそ、死にたいと思った。
食を断ち、水を断ち、崖から飛びおりてもみた。
それでも、彼は死ねなかった。体がバラバラになった激痛のなかで、次の日が昇るまでのあいだ、苦しんだだけだ。
朝になると、蛭子の体は癒えていた。
死ぬことさえ許されないのだと悟り、彼は、すすり泣いた。
(なにゆえ、われは呪われしか。草も木も獣も、生あるものは、みな、いずれ死すものを。われ一人、この世の輪から外れた)
だから、嫌われるのだ。
われは人の姿するも、人ならざる者。
姿みにくき蛭子なれば、実の親にも、うとまれし者なり。
彼は、ただ食い、ただ飲み、獣のように生きた。
さまよううちに、他国の領土に入りこんだ。剣をもつ男たちに捕まった。胸を一突きで殺された。が、まもなく息をふきかえした。
蛭子の神秘を見て、男たちは、さわいだ。男たちの長のもとに、つれていかれた。
「鴉歌(アカ)さま。われらが猛き長。この者、まこと、ふしぎ千万。長に、たてまつらん」
それはヤマトのある豪族の長だった。若く、野心に燃え、かつ好奇心旺盛。目の前で串刺しにされながら、蘇生する蛭子に、多大な興味を持った。
「げに驚嘆すべき者よ。なんじ、物の怪か?」
「わは蛭子。死すこと許されざる者。まことの親に捨てられ、よるべなき身なり」
「なれば、われに仕えてみよ。われのために、その不死の命、ささげてみよ」
「好きに召されよ。もはや、われに心なし」
蛭子は鴉歌に仕えることになった。
初めは、おもしろがって、兵士たちのヤリの的にされていた。
あるとき、あまりにも汚いというので、川に落とされた。あがってきた蛭子を見て、鴉歌は、ぼうぜんとした。
「蛭子……なんじ、麗しき者なり」
麗しい? そんなバカなことがあるものか。
鴉歌は、また、わを弄ぶ所存。わを喜ばせてのち、足蹴にするつもりにあろう。信ずるまい。
なにやら、鴉歌は山ほど美辞麗句をならびたてていた。しかし、心を閉ざした蛭子の耳には届かない。
なにしろ、身分いやしい蛭子は、自分の顔を見たことがない。
とはいえ、それから境遇は変わった。
蛭子はきれいな服を与えられた。ぜいたくな食事。あたたかい寝床を。
つねに鴉歌のかたわらに置かれた。
狩りや遠乗り。市の見まわり。宴。
蛭子には初めての経験ばかりだ。
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