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「誰にも言うなよ」
秘密の共有なんて艶っぽいものじゃなくて、低い声で脅すように言う。さっきまで赤みをさしてた沖本の顔色が、一気に青ざめ、俺を見る目が怯えたものに変わった。
自分の前に立ってる男が、いつもの遠藤先生、じゃないことに気がついたんだろう。沖本の目が見開かれたまま、固まってる。
「目くらい閉じれば?」
彼女の下顎を掴んで、嘲りを含んだ声で言いながら、膝を屈めて腰を落として、自分の唇を彼女のそれに近づけようとする。強引に乱暴に。
「…や、やっぱりこんなのいやっ」
唇がぶつかる寸前で、沖本の手は俺の身体を突き飛ばした。
「先生、ひどい…っ」
「やれって言ったのお前だろ?」
「だ、ってこんなの…」
思ってたのと全然違う。沖本はぐずぐずと鼻を啜りだした。
「お前はさ、俺が好きなんじゃなくて、先生を好きな自分、に酔ってただけなんだよな」
「ちがうっ」
「違わねえよ。言っとくけど、教室での俺なんて、素の俺と全く違うからね」
「だったら、春日さんだって…」
「春日とお前、一緒にしないでくれる?」
アレルギーの症状全開。千帆がいちばん最初に見た俺は、いちばんカッコ悪い俺で。なのに、あいつは俺のこと、ずっと心配そうに見てた。マスクに花粉症眼鏡掛けた俺のことも、すぐに気がついた。千帆が見てるのは、上辺だけの俺じゃない。だから、好き。そこが好き。
「やっぱりデキてるんじゃん」
「お前には関係ない」
「春日さんと同じコト言う」
「あーもう、早くしろよ。あいつ何処」
駐車場にはもう生徒の殆どは戻ってきていた。集まってた先生たちに沖本から聞いた場所を伝え、千帆を迎えに行って、そのまま今夜の宿泊先のホテルに合流したいと申し出る。
「先生が行かなくても…」
学年主任の大田先生は、少し難色を示したけど、雨も強いし、早く行った方がいいと思うので…と強引に押し切った。
「先生、俺も行くっ」
「わたしも連れてってください。ちぃ、心配だから」
クラスのみんなに事情説明したら、酒井と木塚がそう言ってきて、結局3人でタクシーに乗り込んだ。沖本の言ってた坂の手前で、タクシーの運ちゃんは車を停める。この先は道が細くて入れないらしい。誰かを探してるなら、坂の上と下から回った方がいい、とアドバイスを受けて、俺はその場で降りて、酒井と木塚は坂の上で降ろしてもらうことにした。
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