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初めて会った千帆のお母さんは、人の良さそうな大らかそうな人だった。ああ、こういう人が育てると、ああいう素直で伸びやかな娘が出来るんだ、と納得してしまうような。
熱のせいか、千帆の眠りは深くって、母親が部屋に入ってきても、まったく起きなかった。
「春日」
そう呼んで起こそうとすると、お母さんが俺を制す。寝かせておいてやって欲しい、と。
当然の親心で、何も言わずに俺が立ち去った時の千帆の泣きそうな表情は、容易に想像出来たけど、お母さんの願いを覆す理由にはならなかった。目覚めた千帆に別れ際に切なげな顔されるくらいなら、寧ろその方がいいとさえ思った。
教師、のままの顔でいられる自身が微塵もない。
「本当に先生にはご迷惑をお掛けして…」
と頭を下げられる度に、良心がズキズキ痛む。千帆の発熱は9割方俺のせいだから。
沖本に不用意な発言したのも、指輪見られたのも。そもそも俺と付き合ってなきゃ…。嫌な仮定が頭を掠める。
迷うのは、ずるい。千帆を巻き込んだのは俺だ。
「先生はこれからどうされるんですか?」
お母さんが俺に聞く。
「あー、長崎市街のホテルが今夜の宿泊先なんで、そこに戻ります。春日をお願いします」
社交辞令でなく本気で言って、頭を下げた。
「先生こそお気をつけて」
自分の娘も心配だろうに、病院の裏口まで俺を見送ってくれる。こういう思いやり、千帆も引き継いでるよなあ。そう思いながら、駅までの道を歩く。
病院のすぐ近くに港があった。江戸時代日本で唯一外国の船を受け入れてた場所――。
一度、駅で大田先生に連絡を入れてから、ホテルに行った。フロントで鍵を貰って、部屋に戻ろうとすると、酒井が俺の前に立ってた。
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