282人が本棚に入れています
本棚に追加
学校では今、あたしは『酒井くんの彼女』ってことになってて、朝はいつも酒井くんと駅で待ち合わせて一緒に行ってる。でも、ある意味それだけ。手を繋いだりしないし、休日出かけるようなこともない。
話してて楽しいし、一緒にいると酒井くんは楽。
でも。嬉しい楽しいってだけじゃなくて、何気ない一言にキュンってなったり、ふっと見せる真顔に見惚れちゃったり、けいちゃんといる時の方が、あたしの心臓はずっとずっと忙しい。
一緒にいて楽しい人はたくさんいるけど、幸せだって感じるのは、けいちゃんといる時だけ。
けいちゃんのお嫁さん。いつかそんな日が来るとしても、来ないとしても。
その夢は進路とはまた別次元のもの。あたしはあたしの道をしっかり決めて、その上でけいちゃんと手を繋いで歩きたい。そうじゃなきゃ、いつまで経ってもけいちゃんと対等になれない。
でもその道が見えなくて、もやもやと不安になる。俺は逃げ道にはならないよ。けいちゃんが言いたいのは、そういうことなのかな、
「まあ難しいよね。進路って」
あたしの頬から唇を離して、けいちゃんは呟いた。
「美容師になりたい、って言う七海みたいに小さい頃からの夢があれば、悩まないのになあ」
七海はもうとっくに、志望校を決めて、学校の見学とかにも行ってる。自分の未来を見据えてる七海はかっこよくて、あたしはひとりで焦っちゃう。まだ、何も決まってない。やりたいことも出来ることも見つけられない、って。
「何も決まってない、って実はいいことなんだよ、千帆。可能性が沢山あるってことなんだから」
「え?」
「ひとつ何かを決める度に、可能性の幅はどんどん狭まってくからなあ。大学も学部も仕事も配偶者も、人はその場面場面でひとつずつしか選べない。選ぶってことは、他の可能性を全部切り捨ててく、ってことだからね。悩んで当然じゃない?」
袋小路のどん詰まりに落ちて行きそうなあたしの気持ちを、けいちゃんはさらっと掬いあげてくれる。やっぱりけいちゃんは大人だ。
最初のコメントを投稿しよう!