第5章 夏の迷い道

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悔しさ通り越して屈辱的だと拳を握って、何かを言いたげに、でもなかなか言葉が出ないのか、唇だけふるふる揺れてる。何だろう、とつい彼女を見上げていたら、彼女はぶっきらぼうに言葉を吐き出した。 「い、いろいろ悪かったわね」 「へ?」 「え、遠藤先生が謝れ、って言うから。誤解して、嫌な思いさせて、ごめんなさい…っ」 それはもう言い逃げだった。 あたしに謝ってくれてるのか、とあたしが彼女の言葉の意味をようやく飲み込んだ時には、沖本さんはもう、1Q84を抱えて、逃走していた。 彼女の謝罪を受けての、あたしの反応も見ないまま、しかも明日からは夏休み。狙ったとしか思えないタイミング。 誤解? 遠藤先生が謝れ、って言うから? …けいちゃん、沖本さんに何したんだろ。 とりあえず、彼女から攻撃される心配はなくなった、ってことなのかな…。 「お前と沖本ってケンカしてたの?」 酒井くんまで訝しげに訊いてくる。そりゃ、気になるか。 酒井くんには何処まで話してるんだっけ。ああもう、秘密が多すぎて、誰が何を知ってるのか、混乱してきた。けいちゃんの特殊記憶能力が欲しい。 「…うん」 ケンカとは違うけど、とりあえず頷いておいた。SNS拡散の犯人のこととか、修学旅行で指輪投げられた話まで、酒井くんにするのは沖本さんに悪いから、あたしはそのまま酒井くんの言葉に乗っかった。 「もしかして遠藤ちゃん絡み? あいつ、結構しつこく追い回してたもんな」 「…キワドイとこまでバレかけてたんだ」 「そっか」 「あ、ねえ。それより、さっきのお願いって何?」 これ以上、沖本さんの話題を引っ張るのが嫌で、あたしは露骨に話題を戻す。 「あ、ああ」 酒井くんはちょっと切り出しにくそうに、眉間を人差し指でぽりぽり書いてから、言う。 「俺さ、来週の金曜、水泳部の市大会、あるんだ。総合体育館のプールで。もし、春日暇だったら、来れないかな…と思って」
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