第5章 夏の迷い道

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~★~☆~★~☆~ まだ無人のプールは窓から差し込む光に水面が揺れている。これから始まる戦いを待ちわびてるように。 市の総合体育館の屋内プール。あたしと七海は1コース側のいちばん客席の、前から4列目に席を取った。 「意外に人いるねえ」 ぐるりと会場を見回して、七海が感心したように呟いた。 「ごめんね、七海付きあわせて」 「いや、気にしないでいいよ。どうせ暇だったし。酒井何出るんだっけ」 「400メートルの平泳ぎ」 「400…持久力あるなあ、あいつ」 専門知識なんかないあたしと七海は、ぼんやりと繰り広げられる競泳を見てた。時々南高の名前が出ると、知らない子でも応援したりしながら。 プログラムの中ほどで酒井くんが出てきた。5コースにいた酒井くんは、「酒井―っ」って客席から飛んできた声に、両手を振って答える。緊張とかしなそうだなあ。酒井くんを見てたら、ばちっと目が合った。 プールサイドとここまでは、かなり距離あるのに。でも、酒井くんには、あたしがわかったらしい。酒井くんは口元に手を当てて、無音で口の形だけを変えて、あたしに伝える。 「や・く・そ・く、覚えてるよな」 お、覚えてるよ、でも…。 選手全員がコールされると、すぐにレースがスタートする。水を得た魚。そんな言葉を思い出したくらい、水の中の酒井くんは綺麗だった。力強いストロークで、水をかき分けてぐんぐん進む。 酒井くんと隣のコースの子がレースを引っ張っていってる。抜きつ抜かれつで、最後まデッドヒート、ゴールについたのも、あたしの目には酒井くんの方が早くみえたけど、タッチの差で2位だった。 タイムと順位の出た電光掲示板を見て、酒井くんは一瞬悔しそうに天を仰いで、それからにこっと笑って、1位の子に握手を求めてた。 やばい、約束果たせなかった。 あたしは会場を出て、通路に飛び出す。階段を降りていったら、丁度選手の控室に向かうらしい酒井くんに出くわした。 「春日」 高校の名前の入ったジャージを着て、両肩にバスタオルを掛けた酒井くん。まだ、試合の興奮が冷めないのか、上ずった声であたしの名前を呼ぶ。 「さ、酒井くん」 「見てた?」 「う、うん」 「お前、約束守ってくれなかっただろ~」
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