克服【overcome】

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「…変わったね、樹。前の樹だったら絶対にそんなこと言わなかったよ。これなら、もう心配しなくても平気かな」 「心配?」 「今日は母さんと会う日でしょ。あんたなんか生まなきゃよかった、とか言われて樹が傷ついたら立ち直れないな…。あー、やだやだ…、ってすげえ悩んでたんだよ?樹が苦しむ所、見たくないんだ」 …大丈夫、もう傷つかないから。 例え酷い罵倒を浴びせられたとしても、僕は僕の意志を突き通す。偽りのない多田樹として生きていく。 …決めたんだ。 怖いし恐ろしいけど、先に進まなければ囚われた世界から解放されることはない。母の手を払いのけて、綺麗な世界を取り戻すって、誓ったんだ。 「ありがとう、心配してくれて。でももう平気。…愛されなくても、僕は僕のままだから。自分を捨ててまで、母さんに依存しようとは思わない」 大丈夫。たとえ愛されなくたって、僕という個が消えることはない。 お昼頃になると、先程までの晴天が嘘のように灰色の雲が空を覆った。 天気予報によると、もう三月だというのに雪がちらつくらしい。 どうりで体が芯から冷えると思った、と考えながら玄関に掛かっていた傘を手に取る。ジャケットを羽織りながらこちらへ駆け寄ってきた翔は、同様に傘を掴みながら「じゃ、行きますか」と言った。 「うん、行こうか」 決意を固め、掌を強く握る。 積み上げてきた不正確な世界を自らの手で壊すために、前だけを見据えて。
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