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「そうしているうちに心の中が真っ黒になって、自分が誰なのか分からなくなった。僕は母さんの操り人形で、僕の意志はどこにもなかった。
…僕達の親子関係は屈折して、歪んでいる。僕はそれに気が付いていたけど、関係が崩壊するのが怖くて気が付かない振りをしてきました。
…でも、現実から目を逸らすのはもうやめましょう。僕は、あなたの望む樹にはなれない」
ゴトン、という乾いた大きな音が店中に響き渡った。
母がテーブルに両手を強く打ち付けたことで発せられたその音に、おしゃべりに夢中になっていた客の視線が一斉に注がれる。
「ふざけるのも大概にして…!これまでどんなにあなたを大切に育ててきたか知らないでしょう…だからそんな自分勝手なことが言えるのよ!折角幸せな人生を歩めるように私がレールを引いてあげたのに、それを全部めちゃくちゃにするっていうの?…あんたなんか、生むんじゃなかった!」
閑散とした空間に母の叫び声だけが響き渡る。
…そうだね。母さんにとっての僕は、自分勝手な裏切り者なんだろうね。
母さんの意志に背いた僕は、邪魔で不必要な存在に違いない。
「お互いに、お互いから解放されましょう。…歪んだ関係は歪んだものしか生み出さないんです。こんな簡単なことを、ずっと口にできなかった」
「ごめんね、母さん」と言いながらゆっくりと席を立つ。
周りの視線や囃し立てられているであろうことは、全く気にならなかった。
僕が今ここで新しい一歩を踏み出そうとしていること。その事実が何よりも大切だった。
「あなたはあなたの人生を、僕は僕の人生を生きていく。…それでいい。僕はもう、あなたからの愛情は必要ない」
母が人目を憚らず大声で泣き叫ぶ。
僕は水色の傘を手に取ると、母に背を向けて外の世界へと足を踏み出す。
何か声をかけようと思ったけれど、「もう、いい」と思った。分かり合えないのなら、分かり合わなくていい。僕は僕で、僕以外にはなれないのだから。
母を振り切る勇気が、先に進む為には必要なんだ。
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