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「夏合宿の時、本当に怖かったんです。心を侵食されて、自分が誰だか分からなくなって…。透明な雨が心に滲んだ気がした。
本当の自分を捨てようとしていた僕に『樹』と名前を呼んで、愛されなくても消えないことを教えてくれた。…ありがとう」
多田の華奢な腕が俺の首に回される。
伝わってくる心音は今にも張り裂けそうな程で、お互いに緊張しているんだということがよく分かる。
「…僕も、雨谷君のことが好きだ」
甘い囁きは雨音にかき消されることなく、しっかりと耳に届いた。
恥ずかしそうに俺の肩に顔を埋める多田の頭を優しく撫でる。
「…そうだ、これ」
俺はポケットからビー玉を取り出すと、多田のことをそっと引き離した。そして彼の掌に冷たい雨粒を握らせる。
「愛してる。…樹は?」
やっと確認できた多田の顔は、薔薇のように真っ赤だった。 小さな唇が震え、褐色の瞳は俺を見据える。
「…僕も…愛してる」
多田は指にビー玉を摘まむと、それを雨降る世界に翳した。キラキラ光る水色の雨粒が、多田の頬にぴしゃんと跳ねる。
百合の花は満面の笑みを浮かべると、目にビー玉を近付けて静かに「…綺麗だ」と囁いた。
(fin.)
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