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「俺を悪者にするのやめろよ。言っとくけど、好待遇はしてても酷い待遇は一回もしてねえからな」
「えー、ほんと?」
樹に絡めた腕を更に密着させながら、花宮が俺の瞳に視線を合わせる。
瞳孔の中に煌めく星屑はいつ見ても濁りのない輝きを放っていて、神秘的な美しさに満ちあふれている。
「…大丈夫。毎日楽しいよ。雫月の言う通り、酷い扱いなんて受けたことないから」
タメ口もそうだが、樹が「雫月」と呼ぶ度に胸の奥底が疼くような感覚に陥る。
それを悟られないように表情を変えないように努めているが、我ながらアホみたいだと思う。
付き合いたてのカップルのようで気恥ずかしい…ってか、付き合いたてなんだけどさ。
花宮の家に身を置いていた樹は「一人暮らしをする」と言っていたのだが、俺が引き止めた。母親とのことがあったばかりで実家で暮らすのは無理難題だろうし、俺もこれ以上樹に苦しい思いをして欲しくなかった。
愛情を振り切ったということは、樹と母親の関係性が振りだしに戻ったということ。いや、20年間積み上げてきたものがある分、まっさらな状態に至ることも困難だろう。断ち切られた親子関係が、修復されるのは容易ではない。
樹は「もういいんだ」と言っていた。「母親に愛されなくても僕は僕だから、もういいんだよ」と。
俺はその言葉を素直に受け止めて「何もかも解決して良かったな」と言うことは出来ない。良かったな、の一言では済まされない歪で複雑な問題が、樹の心に傷を残したままだと思うから。
「雨谷くーん!多田くーん!翔くーん!」
大勢の足音と共に蓮華先輩の声が後ろから聞こえてきて、俺は後ろをくるりと向く。
宙に投げ出された花びらが幾重にも交差して、暖色の世界を創造していく。
春の香りを含んだ空気は優しく頬を撫でた。
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