新社長

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千博はベストを脱ぎ、ブラウスのボタンを全て外した。 準備してくれた女性の先輩がどこで調達したのか黒のブラジャーまで着け、軽くメイクも施されていたから、皆の前に出た時はものすごい騒ぎになったものだ。 入社以来七年、真面目なだけが取り柄だった千博が。 社長へのはなむけとはいえ、女装までしたのだ。 女装の出来いかんではなく、心意気をかって欲しかった。 なのに言われたのは「可愛い!」「エロい!」である。 せめて笑ってほしかったのに、身長も顔立ちもごく普通の十人並みである千博にとって、いたたまれないひとときだった。 しかしまあ社長が喜んでくれたのだから、それは構わない。来週から気持ちを新たに頑張るだけだ。 と考えながらブラウスを脱ごうとしたその時、背後のドアが開いた。 その人物は千博の露わになった肩、そこから続く黒のブラジャーまでを唖然とした表情で見ている。 「き、着替えてますので……」 暗に出て行けと伝えたつもりだった。この時点で千博は彼が相馬一翔だと知らなかったのだから仕方ない。 が、一翔はニコニコして狭い衝立の中に入ってきた。別のドアから出直すのは面倒だから通せというのだ。 千博は体を捩ってよけたが、突然見知らぬ人に妙な姿を見られた動揺もあって足が縺れた。そして会場の分厚い絨毯に履き慣れないハイヒールが引っ掛かり、ひどくバランスを崩してしまった。 「ちょっ、あ!」 衝立によりかかるわけにはいかず、必死で縋ったのはそこにいる男の体だった。 急に体重をかけてぶつかられた一翔もバランスを失った。それでもどうにか千博を受け止めつつ、閉めた扉の方に背中を預けた。 ズルズルと二人分の体重が床へ落ちる。 「すみません……」 一メートルもない扉と衝立の間に、成人男子の体がふたつ折り重なる。
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