一月九日*一粒目

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   バスに乗ってからさらに二十分後。  けやき坂2丁目南のバス停で降りると、小さな歩道から住宅街に入る。  登ってきた道を少しだけ下っていく、それだけなのにとても懐かしい気分になった。  街の中より何倍も空気がきれいに感じるこのエリアが、私が育った場所。  小学校三年生くらいから高校を卒業するまで、私の世界はほとんどここで完結していた。  『北野』の表札がかかった自宅は、二階建ての一軒家だ。  庭にはたくさんの花と緑。ガーデニングが趣味の母によるものだ。  中学生くらいの頃、犬を飼いたいってダダをこねたことがあった。でも庭がダメになるからって却下されたんだっけ。  インターホンを押して、「ただいま」と声をかける。  それだけで母は私だと気がついたんだろう、玄関から物音がして、ドアが開いた。  「おかえり。疲れたでしょう」  「ちょっとだけね」  「荷物置いたらお茶いれるわね。お父さんが休日出勤なのが残念だけど」  「相変わらず忙しいんだね」  「そうね。でもまあ、向こうにいた頃よりはマシだわ」  母が言う『向こう』は、東京のことを指す。  もともと両親は東京で暮らしていた。私が生まれたのもその時だ。 .
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