一月九日*一粒目

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   けれど諸事情で父方の実家である兵庫県川西市へと越してきた。  まだ幼かった私はすぐにこちらの言葉に慣れ、高校を卒業する頃には完全に関西弁を話すようになっていった。  けれど染み付いていたはずの方言も、大学入学後の2年足らずで消えた。  暮らすうちに、自然とその土地の言葉に影響を受けてしまい、標準語に近いものになってしまっていたのだ。  生まれが東京だったこともあるのかもしれない。  今では東京育ちと間違われることだってある。  あの頃……と思い返すのは、やめるようにしている。特に両親の前では。  「睦月が帰ってくるって聞いて、おばあちゃんも楽しみにしてらしてね。今夜はこちらにいらっしゃるみたい」  そう言いながら、母は手馴れた様子でお茶を淹れてくれる。  実家にいた頃は日常だった光景も、なんだか新鮮に思えるから不思議だ。  一人暮らしの大学生には、自分のために熱い煎茶を淹れる習慣なんてない。  私専用の湯呑みを受け取り、注意しながら口をつける。  ポットの熱湯から注がれたお茶は飲み頃とはとても言えない熱さだ。ふうふう吹きながら飲み、母から振られた話題に答える。 .
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