第1章

2/5
前へ
/5ページ
次へ
 東京都墨田区の錦糸町におれの勤め先がある。  きょうは、午後から取引先と商談があった。  商談に必要な書類、見積書などが入ったカバンを手に、おれは事業所を出た。  JRの錦糸町駅まで歩き、そこから総武線で秋葉原まで行き、山の手線に乗り換えて、上野駅で下車。  地方へ出張するわけではないので、体が疲れないですむ。  しかも、これから向かう取引先は我が社の提案事案にかなり乗り気なので、おれが変なことを言わなければ、順風満帆に仕事が進むはずなのだ。  秋葉原駅に着いた時、急にトイレに行きたくなった。これから商談という緊張感漂う状況に置かれるので、尿意が切迫してきたに違いない。  総武線のホームから階段を降りれば、京浜東北線快速または山の手線乗り場になっている。ちょっと我慢すれば、すぐ上野駅に着くのである。  おれはちょっと我慢する方を選んだ。  ラッキーなことに大宮行きの快速がすぐにホームへ入ってきた。  御徒町を通過し、あと三十秒ほどで到着だ。  しかし。  無慈悲な急停車と緊急停止を知らせるアナウンス。よくあるパタン。  停止の理由なんかどうだっていい。早く動いてくれ。  停止時間は五分ほどですんだ。よかった。  ようやく電車の扉が開いた。人を押しのけて階段を駆け降りたか、というとそんなことはしなかった。押しのけたりしたら、階段から転げ落ちる人がいたりして、事故だ、人殺しだ、たいへんなパニック状態になってしまう。  おれはフツーに階段を降りたのである。  さいわいなことに、おれは上野駅構内のことはだいたい知っている。  地下ホームの近くにあるトイレに向かった。  嗚呼、またもや。  今度はそこのトイレは改装工事中で使用禁止になっている。入口に別の場所のトイレの案内地図が貼り付けてあった。これもよくある、パタン、だ。    腕時計を眺めると、約束の時間までまだ余裕はあった。用を足す時間はたっぷりある。    おれは別の場所へ移動した。  そこのトイレの入り口には警官が立っていて、行きかう人々を胡散臭げに睨んでいた。警官の顔はブルドックのような凄みがあった。耳が茶色に日焼けしてだらんと垂れ下がり、ボクシングでもやっているのか鼻がぺしゃんこに潰れている。  
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!

6人が本棚に入れています
本棚に追加