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本当に、風俗のような業界に足を踏み入れたら、と思うと、夜な夜な心配で眠れません」
「私がもっとお給料をもらっていたら、全てがうまくいくのです。そうすれば、妹に多少貸してあげても、家にもお金が残ります。これで主人も妹も、満足するでしょう。けれど、今やっているパソコンの仕事は、もともと私がサービス業にいたこともあって、入力に時間がかかってしまいます。ブラインドタッチなんて、できっこありません。外で働けば、私でももっと稼げるでしょうけど、主人との約束があるので、在宅で働くしかないのです」
「だから、私のパソコンの技能を上げることが、今の私の、やるべきことなのです」
「結局は、私の無能さが、すべていけないのです!」
私が熱く語っているあいだ、遠浅で潮が引いていくように、新庄さんの心持ちが少しずつ遠ざかっていくのを、肌で感じていた。私が、馬鹿げた相談をしたからだわ、きっと。しばらく新庄さんは、二本の指先をひたいに当て、そこに何かが浮いているみたいに、宙をにらんで考えていた。目の少しだけくぼんだ彫りの深い顔立ちは、彼のもとから持っている雰囲気と相まって、見る角度によっては、色濃い影を作りだしている。わずかな空白ののちに、新庄さんが、
「やっぱり僕と一緒に行きましょう、思い切って!」
と、とつぜん言い放った。私は驚いて、ええぇ、とのけぞったけれど、彼は上体を前のめりにして、真剣な目を近づけてくる。
「さあ、僕と行きましょう! 今すぐ」
いきなり人格が変わったような、その積極的で力強い態度に、ただただ恐れをなした私は、手元にあったバッグをひっつかみ、
「今日初めて会った人とそんなところには行きません! 私は人妻ですから」
といつもの三倍くらいの早口ではねつけて席を立った。そのまま大急ぎでドアまで走ってノブを回していると背中ごしに、
「勘違いしないでください! 僕は竹之内さんの心の家に行ってみようと誘っただけなんです!」
新庄さんの大声が響いた。自分の思いこみの激しさに気づいた私は、恥ずかしさのあまりその場に立っていられず、開けたドアを勢いのまま飛び出していた。後ろ手でドアを閉めてしまうと、ようやく我に返り、今の自分のふるまいに、思わず身震いしていた。ああ、何という勘違いをやらかしたのだろう! 恥ずかしくてたまらない。穴があったら入りたい、そのまま地中に埋めこまれてしまいたい、
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