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「折角迎えにきたのに、それは酷いよねぇ」
「・・仕事が」
「あのさ、怜さんが俺を信じてないのと同じように、俺もまだ怜さんを信じ切ってないんだよ」
耳にかかる低い声と熱い吐息に身を捩る様に肩を窄ませると、縮こまった私の体をその腕全部に収める。
信じていないの言葉に棘を感じながら、疼く体がその腕を振り払う力を瞬く間に抜いてしまっていた。
「怜さんが逃げる可能性も無いとは言い切れないしね」
「そんなこと・・っ」
「できないよね、この園が大切なんだから」
瞬発的に振り返ろうとした私を抑止し、後ろから肩を抱かれ巻き付いていた腕の一つが現実を表す言葉と共に私の顎を捕らえた。
その手に僅かな力が込められ、半ば無理矢理目の前の建物を見ろと言わんばかりに前を向かされる。
そして響くその声は悪魔の様に棘を放ち、私の意思を再確認させるかのようだった。
「お父さんが残したんだっけ?ここだけじゃない、周りの商店も全部このまま残っているけど、もしかしたら更地になっていたかもしれない」
「・・ゃ、」
「さっき帰った男の子にも、もう会えなかったかもしれない」
「やめ、・・」
「よく見ておくんだ、自分の置かれた立場と意味を」
俯きたくても許されない、目を閉じたくても焼き付くように視界に入る大切な物に込み上げた涙がポロポロと零れ落ちた。
どうしてこんなことになったのだろう、幸せだった平凡さがとても遠い記憶に感じる。
落ちた涙が結城の掌に掛かっても、その手は力を弱めず、変わらず私の体を抑止したまま。
「怜さん、帰るよ」
「・・・」
「今日は外で夕飯を済ませよう。初日だし部屋の勝手も分からないだろうしね」
「・・・っ」
「大丈夫、俺がいるから。怜さんはいつも通り笑っていればいいんだよ」
ただ、滑る様に流れ込んできた結城の声はどこか優しく、伝わってくる体温はとても温かくて。
その声色にさらに溢れた涙は、安心か後悔か、分からないままにやっとその瞼を閉じた。
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