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閑散としたショッピングセンターで、初恋に落ちた。
六歳の春のこと。
ダンボール製の屏風に印刷された桜並木を背景に、彼女は立っていた。
二十二年も前のことだが、
彼女が空色のランドセルを背負っていたこと、
襟と袖のところがバラの花のような赤色のセーラー服を着ていたこと、
彼女のミルクココア色の髪がふんわりと波打ちながら膨らんでいたこと、
陶器の肌が蛍光灯を反射して、桜の花びらを掴もうと伸ばされた右腕がてらてらときらめいていたこと、
彼女のどうしようもなく魅力的な立ち姿の、隅々まで憶えている。特に、
彼女の双眸の淡い緑色(彼女の両眼には子どものだましのペリドットが嵌め込まれていた)は、脳みその真ん中に鮮やかに染み込んで、
彼女を一目見た瞬間に、きっと俺は、人生を塗り替えられてしまった。
もしも。
もしもあの日、母に付いてショッピングセンターに行かなかったなら。
彼女に出会わなかったなら。
マネキン相手の初恋に落ちなかったなら。
俺の人生は一体、どのようなものになっただろう?
普通の、生身の女性を愛して、――――たとえば今目の前にいる、俺のことを好きだというこの人を――――愛して、結婚して、子どもを持っただろうか?
かもしれない。
「けど。悪いけど、」
過去にもしもは有り得ない。
俺は確かに、あの日、彼女に出会ってしまった。
脳みその真ん中が緑色に脈を打って、虹彩の裏側に彼女の像を映し出す。同じところから分泌された緑色が全身に行きわたるようだ。
「心に決めた人がいるんだ」
虹彩の裏側を見つめて言っても、半透明の彼女は、
桜の花びらを探してそっぽを向いていた。
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