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ああ、これは夢だ。
男はなだらかな丘の上に立っていた。あのときと同じだ。若さのまま息を切らして丘を駆け上がり、頂上でふもとを一望する。そこを下れば帰れると知っているのにそのまま立ち止まったことも、そのまま動けなくなったことも、全部同じだった。
「……うそだ」
男は声を出す。自分が声を出すということを男は認識していた。なんとも奇妙な感覚だ。
「うそだ……」
叫びはしない、独り言みたいな呟き。これも覚えている。
同時に頭の中に風景が蘇った。男はそれも覚えていた。馴染みの顔、贔屓にしていた店、幼い頃の遊び場、己の家。自分が帰る場所。
またいつもの生活を取り戻せると信じていたこと。しかしその希望は目の前に広がる景色で一瞬に塵と化したこと。見えた景色はあまりにも凄惨で、残酷な真実だったこと。
男は丘の頂で声もなくくずおれた。
膝から力が抜ける感覚も男はありありと思い出していた。
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