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生まれたとき、キュアアキュアアとけたたましい声が響いていたのをよく覚えています。
それは己の産声だったのだと気付くのはもっと先の話です。洞穴のような暗い場所から誰かに引きずられるように明るい世界へと生れ落ちた児(こ)、それが私でした。
そのとき上げた産声は歓喜の声だったのか、それともこの後を予感し悲嘆していたのか、それは今になってもわかりません。
私は生まれてこのかた “家 ”というものを持ったことがありません。私が生まれたのはとある山の上でした。足も竦むような高い山の一角に母や兄弟たちと身を寄せ合い、朝な夕な食べる物を探していました。
山では大勢の人間が行き交っていました。毎日会う人間もいればそのとき一度きりしか会わない人間もいます。毎日会う人間の幾人かは私の姿を覚えてくださり、ときたま食べる物をくれることもありました。そうでない人間からはただ笑顔を向けられたり、逆に苦い顔をされたりと、様々です。
私はそんな人間の顔を一回一回、一日に何度も見ていました。本当に何度も何度も、飽きることなく繰り返し見ていたのです。何しろ幼かったのです。人間たちの見せる表情、物音、なにもかもが初めてで真新しく、顔を確認しては振り返り、後ろにいる母に「あれは何て言っているの」と質問を投げかけていました。
そして質問を投げかけるたびに私は母に引きずられていました。あんな奴らの言うことを信じてはいけないよ。引きずりながら母はいつもそんなことを言っていました。呻くような呟くような声だったと記憶しています。あんな奴らの言うことを信じてはいけないよ。母がそう言うのであれば仕方ありません。仕方ありませんが、なんだか世の中全ての人間が呪われてしまえと言いたげに言葉を吐き捨てるので、それがいつも気になっていたのを覚えています。
母は疑り深い人でした。いつも険しい表情で住み処の奥にいつも蹲っていました。蹲っている間、母が何を考えているのか私には見当も付きません。ただ、私が「あれは何て言っているの」と聞くたびに自分の傍まで引きずり寄せ、そして「あんな奴らの言うことを信じてはいけないよ」と呟くだけです。
彼女がいなくなるまで、「あれは何て言っているの」の答えはついぞもらえませんでした。
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